人として生きている以上存在価値は同等

前回のブログでは、“勘違い、思い違い”について
触れましたが、ある出来事を通して、
とても重要なことに改めて気づきましたので、
シェアしたいと思います。

ある出来事とは、知人から聞いた仕事上の人間関係の話で、
会社組織での上下関係に起きた出来事でした。

この上下関係の出来事は一般社会でも
よく見られがちなことなのですが、
上の立場の方が、”マウントポジション”を取る、
という典型的とも言えるケースでした。

反対に下の立場の方(知人)にとっては、
“守勢一方”となり、自分の意見、考えを聞き入れて
もらえない状況となりました。

つまり、お互いに意思の疎通が噛み合わず、
困難と思える状況に陥ってしまったわけです。

このことが起きる前に知人は、その会社を辞める
意思表示をしていましたので、返って拍車がかかる
形となりました。

ところで、このようなことが起きた根本的な原因は、
何だったのでしょうか?

おそらく多くの人々は、会社での人間関係では、
「よくあること」というような安易な表現で
済まされ終わってしまうケースがほとんどの
ように思います。

人間的な言わば身勝手な視点からすると、
当然の見方、当たり前という前提によって、
“自分が常に正しい”という独自の考え方を
固持していくことになります。

そのような固執した考え、信念を頑なに
上の立場の方が持っている以上、
下の立場の方を責め立てるという、
“悲しい構図”ができてしまいます。

その“悲しい構図”にいち早く気がつき、
人間関係の修復を図っていく唯一の選択は、

「人として生きている以上存在価値は同等」

このことを心の底から認識できた時、
初めて可能となるように思います。

人間とは主に肉体のこと指していて、
別々の存在であるという認識が、
私たちの心の中にしっかりとこびり付いているため、
自ずと生み出される価値感によって“自分だけの世界”
築く傾向が強くなります。

ところが、それは人間の自我意識(エゴ)という
極めて狭い範囲の考え方、独自の価値観に
固執しているだけで、真実とは明らかに異なります。

その真実とは、人間の本来の姿は“魂(霊)”そのものであり、
同時に不変的なものでり、生死を経て変化する肉体とは
根本的に異なり、初めもなければ終わりもない、

もともと“同質(ひとつ)の存在”であるということです。

つまり、人間で言えば、背が高い、低いとか、
太っている、痩せているという
個々の身体上の違いのみならず、
社会における地位や名声の大小にも関係なく、

“魂(霊)”という本質において、
存在価値は同等ということです。

よりわかりやすい例をあげるなら、
会社のトップの社長とその会社で働く社員は、
雇用関係があり、組織上の上下関係がありますが、

「社長は偉くて社員は偉くない」というような、
一種の評価、比較する人間的視野の基準というものは、
存在価値が同等の世界においては一切通用しません。

“人それぞれの役割、ポジションが単に違うだけ
のことなのです。”

前出の知人が勤めている会社においても、
お互いにこのような“視点”を持つことができたなら、
状況は全く違っていた展開になった可能性もあるのです。

それには、当事者本人が”自分の勘違い、思い違い”
それに気づくことを足がかりにして、
自己探求が深まっていけばいくほど、
心がどんどんと広がり、価値観や考え方が
次第に変化していくこととなります。

すなわち、『心の変容』が起きる可能性が
出てくるわけです。

それが、その会社いや社会全体にとって、
必要であり不可欠な、
『平和』、『調和』を生み出す、
貴重な原動力と成り得ます。

そんな期待に近い想いを懐きつつ、
知人の勤めている会社を陰ながらではありますが、
真剣に応援していきたいと思っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら
今後の励みになります。

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