「他人事は自分事」の真意

私たちは他人と肉体と心は別々であると認識している一方、
自分の肉体と心については理解していると思っています。
そのため、もし、本気で他人のことを理解するとなると、
それなりの努力と忍耐、気づかいが必要になってきます。

現代社会を見ていくと、忙しい、時間がないという理由、
他人に無関心といった傾向から、自分中心での考えとなり、
他人のことに気を回すことなどできない、
というのが現実ではないでしょうか。

実は、今回の「他人事は自分事」をテーマとした発端は、
現代社会の人間関係を見聞していく中で、
「他人事は所詮他人事」“当たり前という風潮”
顕著に感じる場面に出くわす機会が目立つように
なったからでした。

私たちは、パッと見の見かけ、形だけの三次元的視点、
つまり、物質世界の視野に限定された物の見方を主体に、
価値観や思考基準を築き上げるのが、
ごく普通のプロセスと捉えています。

それは単なる表面的な知識の蓄積であり、
維持しようとすればするほど、考えていた以上に、
エネルギーや神経を費やしていくことなります。

「他人事は所詮他人事」と割り切っていたと思っても、
知らず知らずのうちに、状況や出来事の内容によって、
他人から影響を受ける時もあれば、

疑問や反発から矛盾を感じてしまい、
“まだ受け容れることができない”という
“拒否反応に至る場合”もあるかと思います。

その結果、他人を対象に意識してるわけですから、
混乱、迷い、心配、焦り、不安、怒りなど、
“心の反応”として生まれてくる“エゴ”“分離感”
ゆえの感情や想いが出てくることになります。

人間である以上、反応に応じて心は常に揺れ動くもので、
感情や想いが出てくるのは自然の流れであり、
ごく普通の精神作用でもあります。

私自身も普通の人間ですから、
どうしても心や時間に余裕がない時には、
つい煩わしい、面倒くさい、向き合いたくない、
などの想いも少なからず出てきますから、
当然の結果とも言えます。

しかし、その思考を一旦停止してみて、
冷静に落ち着いて考え直してみたら、
いつの日か“ふと気づく時”が必ずやって来ます。

それは“自分で創造した枠組み”という
言わば独自の想念が創り上げた幻想に過ぎない、
悟る瞬間が来るという意味なのです。

もっとわかりやすく言えば、

“自作自演の一人相撲を演じている”

そんな表現が適切かもしれません。

“頭の中で堂々巡りをしている”

という言い方もできるかと思います。

いずれそんな思考パターンに嫌気が差し、
心が耐えられず、本気でそこから抜け出すには、
人の役に立ちたいという一心で、何の見返りも求めず、
何も期待しない、

『無償の奉仕』の実践しかありません。。

それには、“他人のために何ができるのか”
“相手を最大限に理解をするにはどうしたらよいか”
といった「他人事は自分事」という見方、考え方を
少しずつ、取り入れていくのが有効な手段となります。

他人のことを100%理解することは不可能ですが、
それに近づこうと努力するのは後々になって、
視野が一段と拡がり、貴重な経験、成長の糧へと
つながっていきます。

ここまで、何だかんだとズラズラ書きましたが、
究極として言えるのは、

本人自身が心の中の深奥に、
『人に対する思いやり(愛)』の存在に、
いつ気がつくのか、“愛の火が灯される”のか、
それに尽きると思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら
今後の励みになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください