自然の流れに沿った生き方とは Part1
私たちが日常生活していく上で、
必ず出てくることとして、
大小に関わらず“物事の判断”という
状況があります。
一般的、通常のパターンとして、
頭の思考が働いて、過去の経験則、
他者からの意見やアドバイス、
インターネットや書物からの情報などを参考にして、
個人の価値観や固定観念を加味しながら、
何らかの方向性を見出そうとしていき、
最終的な判断へつなげていこうとします。
しかし、その判断のプロセスにおいて、
“意外な盲点”があることを気づいている人は
かなり少ないように思います。
その“意外な盲点”というのは、
私たちの判断基準の根本にある概念は、
必ずと言っていい程、
自分の価値観や固定観念と紐づけされている、
「好き」か、「嫌い」か、
究極を言えばこの2つの内どちらか一方を
意識的、もしくは無意識的に選択している、
ということなのです。
ただ、尺度を変え考えようによっては、
「どちらでもない」とか、
「基準なんてわからない」とか、
というように他に選択肢や基準もあるのでは、
と思われる方もいるかもしれません。
ところが、そのようなある意味、
中途半端な考え方や対応では
行動そのものができなくなる可能性があり、
“何もできなかった”
という結果になりかねません。
その選択が良いとか悪いとかという以前に、
現実として物事が目の前に存在している以上、
何らかの判断を下し行動に移す必要性があるわけで、
私たちは単なる物事の選択や処理という
表面的な事柄として捉えてしまいがちですが、
それの“本当の意味”は私たちの想像を超えた、
“深遠なる知識”へ通じていき、
私たちの頭の思考では及ばない世界でもあります。
つまり、それは“神”または“自然法則”から示された、
“魂の成長に必要な人生の課題”という言い方もでき、
実は私たち人間にとって最も重要な状況が
示されているわけです。
もし、それができなかったとしたなら、
課題がクリアするまで同じような事象が
目の前に現れることになります。
いずれにしろ我を通そうとしても、
最終的に根負けするような感じで
いつかは“現実の自分(エゴ)”を受け容れざろう
えないことになり、
結果として“自分の人生の課題”と向き合い取り組んで、
クリアしなければならない状況に至ります。
実は課題をクリアする度にステージが変わり、
次から次へと課題のクリアを何度も何度も
繰り返すことによって、
自分でも気づかぬうちに少しずつ“心の変容”が起こり、
今までの価値観や固定観念そのものが
次第に変化していきます。
その結果、従来の価値観や固定観念と紐づけされていた、
「好き」か「嫌い」かの選択の基準そのものが
必要性が薄れていき囚われなくなってきます。
その心が安定した状態こそが、
「あるがまま」「自由」といった何ものにも
制約を受けず囚われない、
自然の流れに沿った生き方ができることになります。
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