仕事の人間関係から学ぶ

現在、勤務している会社の担当者との人間関係は、
“仕事に対する取り組み方、考え方の違い”から
正直言ってうまくいっていません。

勤めて1年が経過しましたが、
フラットで気にならない時があるかと思えば、
何か心に引っかかりがあると落ち込んだりと、
浮き沈みを繰り返していました。

私には心を落ち着かせる手段はあるのですが、
それでも気がついた時には心が乱れている、
ということが何度もありました。

「どのように対処、受け留めたらいいのか!」

「彼が何を考え、しようとしているのかが
全く不明でわからない」

それを自問自答するしか手立てはありませんでした。

そして、ある程度の時間が経過した時に、
ようやく抜け出すヒントが見つかりました。

会社と雇用関係にある以上、私は一従業員に過ぎず、
当然のことながら、就業規則や業務指示に
従わなければなりません。

もし、会社の指示に従わないのであれば、
出勤停止や解雇を含む懲罰を受けても
仕方のないことです。

貯金や資産がなく職を失えば収入がなくなり、
たちまち生活に困る、
そのために働き続けなければならない、
それを私たちは“当たり前のこと”と思っています。

だから、会社や上司に不平や不満があっても、
保身のためとかの理由も加わり、
心身に多少の負担、支障を来しても辛抱強く耐えて、
“働かなければならない”と考えてしまいがちです。

確かにその通りですが、それはあくまで、
この現実世界での捉え方、判断に過ぎず、

「自分の意識(固定観念)に縛られている」

という見方もできます。

つまり、生活のためにお金を稼ぐ、
そのための手段となるのが働くことであって、
自分で自分の心まで強制する必要性、根拠などは、
元々どこにもないわけです。

そのことについて、
私たちはほとんど識らない、
もしかしたら「識る必要がない」と、
潜在的に思っている可能性さえあります。

前出の“働かなければならない”という想いも、
お金を稼ぎ生活を支えるための一つの選択、
手段という程度に留めることが賢明のように
思います。

何かの理由、キッカケで心のバランスを崩すと、
強迫観念へ傾いてしまう可能性も秘めている、
ということを私たちは認識する必要があります。

インドの聖者アンマのアシュラムから出版されている
本の中に、それを端的に表現したものがあります。

ー生の前半では私たちは健康を犠牲に富みを追い求め、
後半で得た富のすべてを使い健康を取り戻そうとする、
そして最後にはすべてを失う

マートルヴァーニ 2021年12号 p16~17

上記のことを踏まえた上で、
私が今勤務している会社の担当者との人間関係を
改めて見直していくと、腑に落とすことができ、
“納得のいく視点”にたどり着きました。

現実世界での私の雇い主は確かに所属会社です。
ところが、それだけに焦点を当てていたなら、
何かことが起きるとその度に心がブレて、
振り回されることになります。

しかし、心を落ち着かせ冷静に距離を置いて
繰り返し考え直していくと、

「何のためにこの仕事をしているのか!」、

「人生のあらゆる問題はお金ですべて解決できるのか!」、

「自分は誰なのか!」

哲学チックでハマりかけそうになりますが、
自分の原点に立ち戻る動機づけとなります。
“瞑想”“カルマ・ヨガ”といった手法を用い、
自分自身の心と身体を真剣に見直していくことで、

『本当の自分』(普遍意識、神)、

つまり、人生の本当の目的、魂の原点を思い出すことで、
同時にそれが“真の雇い主”であることにもつながり、
そこに焦点が合わせられるようになると、
心がブレたり、落ち込んだりすることがなくなるわけです。

それは“気持ちの切り換え”と似ているものの、
しっかりと地に足がついている、
より確実でより繊細さが必要とされる、
いわゆる“意識転換”の手法となります。

実際に取り組み始めたらわかりますが、
素早く簡単に、一朝一夕というわけにはいきません。
つまり、誰でも容易に身につくものではないので、
それだけ充実した重みのある価値として残ります。

例えて言うなら、身体の筋肉を鍛える
“筋トレ”のようなスタンスで、
地道に続けていくステップが大事になってきます。

ただし、これは地上人生において、
最も価値のある行動となりますが、
ベースとなる、“忍耐”、”謙虚”、”誠実”
いずれかでも欠けてしまうと、
つい目先の効果や成果に心を囚われがちになり、

“今、その瞬間の状況がベスト・メニュー”

ということをすっかり忘れてしまうこともあります。

自分を責めて嫌になり見失ったりして、
今まで生きて創り上げたプライドや自信も吹っ飛んで、
時には立ち直れないくらい、落ち込んでしまうことも
あるでしょう。

たとえそうなったとしても、

“転んだら何度でも起き上がればいいのです。”

“キッカケを掴み、心が浮上すれば、それでいいのです。”

“そのまま進路を変えずにひたすら前進すればいいのです”

いずれその価値が理解できる日が来ると信じて、
日々、焦らず少しずつ努力を積み重ねていくことで、
確実に血となり肉となり、身についていきます。

ただ、このようなことを書いている私も
本件のについては日々苦心している状況で、
実のところまだ解決には至っていません。

それだけ、今まで経験したことのない、
粘り強い忍耐力が必要とされているのかも
しれません。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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今後の励みになります。

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