「真の健康」を手に入れる最善の方法

本を読んでいると時々胸ぐらをつかまれ、
「ブスッ」と刃物のような鋭利なモノで
突き刺された表現に出くわすことがあります。

今回もある書物を読んでいた時、
他から引用された形でしたが、
下記の文章が私の目に留まり
深く印象に残りました。

“一生の前半では私たちは健康を犠牲に富を追い求め、
後半で得た富のすべてを使い健康を取り戻そうとする、
そして最後にすべてを失う”

読んで字のごとくの意味になるのですが、
最初にこの文章を読んだ時、
頭の中に刻み込まれたような感じでしっかり残り、

「確かにその通りだ!」と心から納得し、
何なんとも言えぬ深い感銘を受けました。

“これまでの私の人生経験を言い表している”、
そんな想いと共鳴したからなのかもしりません。

「健康」の本質とは何なのか、
それを支える「富」つまり「お金」とは何なのか、
それらについて根本から深く考えさせられる
文章でした。

現実社会を見ていくと、

年齢がまだ若いからとか、
体力に自信があり無理が効くからとか、
残業が苦にならないからとか、
睡眠時間が短くても平気だからとか、

将来(老後)の生活が不安だから、
「お金」をできるだけ貯めておきたいとか、

気がついていようがいまいが、
最終的には心身に負担をかけシワ寄せがいき、
「健康」を「犠牲」にしていると気づくのは、
病気など身体に何らか変化が出てきてからで、
“思わしくない状態”ということさえあります。

また、多くの場合は遅かれ早かれ、
「健康」を取り戻そうとするかしないかの
選択しかない状況となりのすので、

もし、「健康」を取り戻そうと選択したのなら、
必要なものは「お金」と考えるのは、
ごく自然な流れ、考え方となります。

ところが、「お金」をすべて使い果たすまでに、
「健康」を取り戻せる保証はどこにもありません。

年齢を重ねれば重ねるほど、
身体の衰えとともに病気や怪我のリスクは
日増しに高まり、自分の思うような回復、改善に
至らないケースも増えていきます。

古くから多くの聖者のメッセージに、

“得ようとすればするほど失い、
与えればた与えるほど得られる”、

という冒頭の文章の内容と同じ表現で
“正しい方向性”を示す言葉があります。

このメッセージをより凝縮した言い方をするなら、

『得ようとしたいなら、まず先に与えよ』

さらにわかりやすく言えば。

『人のため役立てるよう奉仕せよ』

ということだと解釈できるように思います。

以上のことから最終的な結論として、

“「健康」を手に入れたいのなら、
自ら心身のケアをしっかり行なった上で、
人に奉仕すること”、

それが最も確実で有効な手段であるということです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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