成功も失敗もないという真実

私の根っからの性質として物事ら対して、

「失敗を恐れている」

という側面を持っていたことに
最近、改めて気づきました。

つまり、成功するための準備や努力をしながらも、
心のどこかに失敗したくない、恥ずかしい思いをしたくない、
そんなパターンというか想いグセがあるようで、
妙なこだわりを持っているようです。

「失敗していいや」という感じで開き直ることや
「失敗からも学べることもある」というポジティブな思考に
切り換えるのがどうやら“苦手”な感じを持っているようです。

このまま“苦手”を克服ぜすに放置しておいたら、
いつまで経っても成功だけを追い求める続けることになり、
失敗の事例からは何も学んでいないという、
“自分を責めた挙げ句、自信喪失の感覚に陥ってしまう”
可能性があります。

私の今回の気づきは、その手前でわかったので、
正直言って救われました。

よくよく考え直してみてわかったことがあります。

事の大小に関係なく、まず成功とか失敗とかの以前に、
物事にどのように取り組んでいくかの“選択の段階”があります。

この“選択の段階”で物事に対して最善の努力で向き合うという
“覚悟”という気持ちで取り組んでいけば、
成功とか失敗とかの結果自体に左右されるのではなく、
どちらであろうとそれを受け容れる、

そのような心構えであれば、

「成功も失敗もない」

ということも言えます。

スピリチュアルの表現を借りるなら
前回のブログに出てきた、
『埋め合わせの法則』です。

すべての現象には時間の経過を伴って、
バイオリズムと同様の山あり谷ありの波形、
つまり『波動』というものが存在しています。

例えば「山」が絶好調の時としたら、
「成功」という表現ができますし、

一方、「谷」が絶不調の時としたら、
「失敗」という表現になります。

つまり、最初から「山」も「谷」も存在して、
時間とともに変化の波形ができることになります。
それを当てはめると「成功」もあれば「失敗」もあり、
その逆のパターンもあるというになります。

このことをあえて言うならば、
「成功」と「失敗」という結果を分けるなど必要はなく、
結果に囚われず、すべてを学びに転換する視点から観れば、
それは「ひとつ」という流れを表しているに過ぎません。

これが『埋め合わせの法則』の本質です。

すなわち、本来は「ひとつ」だけですから、
もともと「成功」も「失敗」もないことになり、
それを肯定的に表現するならば、

『すべてが成功で、それ以外はない』

という見方ができるということになります。

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