あいさつ、声掛け、笑顔の大切さ

「あいさつ、声掛け、笑顔」

これらは日常の人間関係、特に仕事の場面での
状況が多く、これまでそれ程意識していなかった
行為なのですが…

最近気づいた私のクセ?性質?
自分でもよくわからない、把握できていない、
そんな何気ないキッカケから、
意識して観察してみようと思いました。 

「そんなことぐらいで」と人によっては他愛の無い、
しょうもない、人間として基本的な事柄、
と思われるかもしれません。

また、規律、道徳、礼儀正しさという側面から
その重要性は理解できると思います。

一方では、目で見え、耳に聞こえているという、
“表面的、形式的な行為”に言及されることから、
軽く扱いがちな傾向も否定できません。

さらに視点を変えて、
「あいさつ、声掛け、笑顔」の行為を
より丁寧に深く観察していくと、

“人同士の気持ち、エネルギー(波動)の交流”

という本質的な側面も在ることがわかります。

普段はそこまで意識することは滅多にありませんが、
実はこちらの方が重要なことを私たちは皆無に等しく
知らないというのが現状のように思います。

それは、私たちが社会生活している中では、
「”表面的、形式的な行為”がすべてだ」と、
すっかり思い込んで認識されているという背景が
大きく影響しているように思います。

逆の言い方をするならば、
“人同士の気持ち、エネルギー(波動)の交流”について、
情報不足に加え、見えない掴み所のないという理由で、
どうしても軽んじられてしまう傾向がある
ということです。

そして、「見た目で判断する」という言わば、
“上っ面、表面、外形だけで決めてしまう”
大勢を占める人たちの考えが主流となっているのが
現実ということです。

さらに突っ込んだ言い方をすれば、
最終的にそのような基準、価値判断をしたとしても、
それが真実であり、信頼に値する保証、確信などは、
どこにもないというのが事実なのです。

そして、その結果、行き着く先というのは、
ひとりになった時、一時的でも我を見失ってしまい、
“孤独感にただ苛まされ続ける日々”を迎えることに
なるわけです。

そんな状況が、つい最近まであり、
“私だけのことだ”と思っていたのですが、
60歳を超えて周囲の声を聴くに当たり、
実はそうではないことがようやくわかり始めました。

それは、私と同じような経験や状況に
置かれている人たちが周囲に幾人か
居たことがわかってきたからです。

“孤独感”を引き寄せ、私の心を混乱させていたのは、
所属会社の上司や家族といった、
“自分の外側にいる身近な人たち”に対して、

同情心と期待を寄せながら、密かに信頼もしくは
依存していった状況を振り返ることで、
改めて認識することができました。

マンション管理員という仕事に携わっている以上、
余程の強靭な精神力、体力を保持していない限り、
“孤独感に苛まされる”というのは、
ある意味、人間である限り、当然の流れ、
成り行きかと思います。

ところが、“孤独感に苛まされない”ため、
またその影響を最小限にするための行為が、

“人同士の気持ち、エネルギー(波動)の交流”

ということをつい忘れてしまうのか、意外な程、
私たちは気づいていないのです。

ひと言で済ますなら一般的な表現で、
「気分転換」という言い方もできますが、
お互いにパワーの行き来が確実に生じています。

俗に言う、「元気をもらう」、「気持ちが明るくなる」、
そのような表現をする背景は、目には見えない、
耳にも聞こえないながらも、“感じる”、”想える”
というケースが出てくるわけです。

ここまで言ってきたことの繰り返しとなりますが、
余程、自分の心身に注意深くならない限り、
そして“全託”の真の意味を知らない以上、

私たちはどうしても目で見えるもの、
耳で聞こえるものなど“不完全な五感(管)の感覚”を頼りにして
手っ取り早く依存する傾向に走りがちになります。

そのため、過去の私のように、

「また前と同じようなこと、ミスをしてしまった」

という同じような失敗、失態を何度も繰り返し、
そこから抜け出せないジレンマや葛藤から
避けられない事態に陥るわけです。

実は今の新たな仕事と向き合うに当たり、
意識的な行動を通し、何らかの経験から
わかってきたことがある一方、

現実社会での制約や決まり事などとともに、
情報不足や将来の不安、心配などが出て来て、
“悩み苦しんだ時期”もありました。

しかし、ある時点で、“吹っ切れた感じ”となり、
“悩み苦しんだ時期”も私の人生経験にとって、
そんな悩みさえも必要なプロセス、
要素だったよう思えました。

その“吹っ切れた感じ”について振り返ると、

確かに現実世界では、
私はマンション管理会社の所属で雇われていて、
管理員という職務のパートに過ぎません。

社会において雇用関係が存在している以上、
所属会社の指示に従うのは当然ではありますが、
ただし、それも“個人の捉え方次第”で、
心理的に大きく影響されるように思います。

“個人の捉え方次第”によって、
心が拘束されるように“縛られたり”
一方で正反対に心が“自由”という”在り方”も
可能となるわけです。

“岐路となる視点”
それが“客観視点”、”俯瞰視点”なのです。

そのような視点を自分自身に置き換えていくと、

「私にとって真の雇主(ボス)は誰なのか?」

そのことを自分の内側に問い続けていくと、
必ず心の奥底に在る本質の想い、
つまり、“魂と共鳴する答え”が見つかります。

おそらくですが、私の場合、
“真の雇主(ボス)は『神(普遍意識)』”
だったことを思い出すように気づいたことによって、
腑に落とした如く、“吹っ切れた感じ”になった
ように思います。

“人同士の気持ち、エネルギー(波動)の交流”
真の意味とは、自らエネルギーを放つ存在、

言い換えると、自らが『光の柱』となり、
周囲の人々に「調和」、「元気」、「勇気」などを
“できる限り与えていく存在で在り続ける”
そんな意味だと思っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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