怒り、憤りの奥にある気づかない真実
「弱い犬ほどよく吠える」ということわざがあります。
実際の場面は犬ではなく、人間に例えて言うことが多く、
「虚勢を張る」と同等の表現として使われます。
最近になって、このことわざに当てはまるような人たちが
仕事先の関係者に居ることがわかりました。
これから記述することは、相手を批判や中傷するための目的ではなく、
私の単なる個人的な見解に過ぎないということを予め言っておきます。
個人的な見解と言っても、人の表出する感情など表面的なところに
視点を合わせるのではなく、その奥にあるものを観察する点では
対人関係を見直す際に参考になるかと思います。
表面的なところで共通して言えるのは、
地位、名誉、立場などを利用して部下や目下の人に対し、
ささいなことに腹を立て、一方的に相手をまくし立てる
というパターンです。
“マウンティング”と言われているような、
いかにも自分が主導権を握って相手を力で抑え込もうと、
そんな態度を取る場合もあります。
今の時代、そんなことが公になると、
状況によっては「パワー・ハラスメント」と指摘を受けても
不思議ではないように思います。
それを受け留める側、つまり弱者からすれば抵抗もできず、
どうしても防戦一方の形となります。
ただ、 防戦一方の状況でありながらも、
何度も同じようなことが繰り返されるうちに、
相手(強者?)の言動のクセとか距離を置く間合いとかが
少しずつ読めるようになってきて、
“まともに相手にしない行動”が選択できるようになります。
それは逃げたり、避けたりといった行動ではなく、
相手と“心の距離”を取ることで、
少しでも冷静に、客観的に観るようにすることです。
相手をなだめたり、すかしたり、持ち上げたり、
話の話題を変えたりと、何かしらの行動を
その時々によって臨機応変に対応したらいいのです。
そうしているうちに相手の“心の本質”が観えるというか、
感じられるというか、それが何であるかということが、
腑に落ちるような感覚でわかり始めます。
今回のケースでは、それが怒りや憤りの感情の奥に、
“恐怖心”と“孤独感”があることが感じ取れました。
どうして“恐怖心”と“孤独感”なのかということも
仕事上の役割と背景から程なくわかりました。
つまり、この“恐怖心”と“孤独感”を覆い隠すために、
ご本人たちが無意識のうちに怒りや憤りを受け留める側に
何度もぶつけていたということです。
さらに最近になって別の側面が見出だせました。
それは、“謙虚さの欠如”という人間関係を継続する上で
見逃すことのできない重要な課題が見つかりました。
ご本人たち自身がそのことに気づいていない、
たとえ気づいていたとしても修正できなければ、
何も状況は変わりません。
また、こちら側が核心がわかったらと言って、
これまで抵抗せずに耐えてきたという理由から、
強引に直接ご本人たちに言ったとしても、
おそらく拒否反応を示し、理解に至る可能性は低いように思います。
では、今後どのように対応すればいいのか?
そんな課題に直面することとなりました。
今の時点で私が思っているのは、
「私らしさ、在り方、姿勢を表現する」、
それに尽きるということです。
つまり、彼らが持ち得ていないものを
彼らの前で必要に応じて表現すればいいということです。
それは彼らに対する批判や反抗心からではなく、
少しでも全体と調和したいという“愛の想い”から起こす
行動のことです。
特に彼らの前だからと言って嫌悪感から隠そうとしたり、
また反対に過剰に意識せず、目の前の事柄に対して、
丁寧に思いやりの気持ちを込め、
1つ1つの行為を着実にこなしていく、
ただそれだけでいいのです。
その行為をしただけでもう十分で、
彼らがあなたの行為を見て賞賛しようと批判しようと、
何を言われても、また言われなくても関係なく、
淡々と自分に与えられた目の前のことを精一杯するだけいい
ということです。
だからその結果については、
“神に委ねる、お任せする”、
そんなおおらかな気持ちでいたらいいのです。
彼らに対して突き放すような言い方になるかもしれませんが、
このような出来事の中から、何を学び、何に気づくのか、
それは彼ら自身の課題であり、どのようなプロセスをたどっていくかは
彼らの心の持ち方次第ということになりますので、
もうこれ以上、立ち入る必要はないと判断しています。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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