『究極の開き直り』の実践
先日、家内の友達が我が家へ泊まることになりました。
その友達は韓国人で私の娘と同年代の30代の女性です。
家内が以前、韓国へ旅行した時に知り合い、
その後もおつき合いのある方でした。
私とは初対面で、私は全く韓国語を話せないので、
「あいさつをどうしたらいいか」
というプレッシャーを抱えていました。
結局、私は日本語であいさつした瞬間、
彼女の満面の笑顔に引き込まれ、
私もつられるように笑顔になり、
言葉は通じなくても意識(波動)の交流が
しっかりと感じられました。
屈託ない純真な笑顔を見る度、
私たち夫婦を信頼して、
“自然に心を開いている”
という印象を受けました。
ところが、外出して食事をともにした時、
彼女から“笑顔が消えた瞬間”がありました。
それは、愛犬を喪った過去の記憶から、
辛く悲しい想いがそうさせていたように
思われました。
彼女はその想いを長く引きずって、
記憶に留め忘れたくないためか、
身体の一部に愛犬の名の入れ墨を入れていました。
あくまでも他人事と割り切ってしまえば、
それで済んだことで、私の心の中で何も生じない、
そんな選択もできたと思いますが・・・
しかし、なぜだかわかりませんが、
彼女の“笑顔が消えた瞬間”がズッーと、
私の心の中に“引っかかり”ました。
時間の経過とともに、
その“引っかかり”を何とか解消したい、
という気持ちへと変化していき、
“解消の方法を見出したい”、
という想いが募っていきました。
ところが、程なくその方法を見つけたものの、
今度はそれを実践するかどうかの決断に
迷いや躊躇がありました。
また、彼女の心を好転させる確証などなく、
状況によっては彼女の心を傷つき兼ねない、
諸刃の剣のような際どい繊細な感覚と同時に、
癒やしのパワー、エネルギーが必要でした。
メンタル・カウンセラーとして臨むにせよ、
ひとりの人間の力だけでは限界があり、
ましてや今回のみの機会という限られた状況もあり、
先の展開については、より大いなる力の後ろ盾、
サポートがないと非常に対応が難しいと
感じていました。
それでも、状況をしっかり受け留め、
可能な限り心を落ち着かせ、
寄り添う気持ちを持つに集中することで、
私自身の役割を認識し実践に移すことができました。
“その場、その瞬間のインスピレーション”を受け取り、
つながりながら、多くのヒントを得ながら、
最善のプロゼスを選択していけたように思います。
表現を変えれば、
『私の魂が衝動的に動いた』
という言い方もできますし、
また、一連の動きを通して意識していたのは、
『神にすべてを委ねる(全託する)』
ということでした。
その行為は、神社仏閣などで手を合わせて祈る
“その場限りの神頼み”とは全く異なるもので、
人間として持っている能力をフルに活用し、
最大限の努力をした上で、
その後のことは人間の力では、
どうにもならないと腹をくくり、
いかなる結果が出て来ようと、
“出てくる結果をすべて神に任せる”
ということだと確信しています。
「それは開き直りでは?」と一種の楽観的な見方を
されがちでありますが、本質の視点から言えば、
もうこれ以上ない、
“究極の開き直り”
と言えるように思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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