真の目標設定とは『悟り(解脱)』

今回のテーマとして取り上げた”目標設定”ですが、
そのキッカケは仕事場(マンション管理)で
人間関係を通して思ったことが出発点でした。

老齢年金受給の高齢者の方が多く、
お仕事に就かれず、時間に余裕があるからか、
ご自分たちの考え、信条に基づいて、
行動されているように見受けられます。

人間の自由意志は尊重される宇宙の法則があるので、
どのような行動を選択されようと構わないのですが、

「”現実有りき”という物質的側面に囚われがちとなる」

「自分の心や身体の状態に耳を傾けようとせず、
焦り、不安、心配などを理由に安心感を得たいがために、
無理と思われる行動をしてしまう」

というような状況を見かける度に疑念がわくことが
あります。

例えばある高齢者の方が、ウォーキングを日課とされ、
“決まった歩数”を歩くことを目標とされていました。

お話を聞くと、健康維持という動機の察しがつき、
また忠実に実践されていることはすばしく、
尊敬に値することだと思いました。

しかし、その一方で、その方の歩く姿は、
片足を引きずりながら歩くので、
見ていると痛々しく感じられ、

「それ程までに無理して歩く必要があるのか」

という違和感に近い悲痛な想いが出てきました。

日常生活であれ、趣味であれ、仕事であれ、
現実世界において”目標設定”をすることは、
確かに“実現化”、”達成”、”ゴール”へと向かう、
必要なモチベーションとなります。

ところが、前出の方のように、
自分でも気づかないうちに”目標設定”に対して、

「”決まった歩数”を歩かなければならない」

というような一種の囚われ、強制観念に近い感覚に
固執してしまうと、

ご本人も気づかないうちに、
“身体にムチを打っているような行為”さえ、
“見て見ぬふりをしてしまっていることもある”
ということです。

「人のふり見て我がふり直せ」
ということわざがありますが、今から思えば、
私にとってこの出来事で見聞したことは、
“重要な意味”があったように思います。

それは「私自身の”目標設定”とは何か」と考える
いい機会となり、さらに言うなら“意識転換の
ターニングポイント”
となったことでした。

そして、最終的に出てきた答えは、

『悟り(解脱)』

それでした。

あまりにも唐突な答えで、また戯言かと批判を
受けることも十分に承知で熟考を繰り返していくと、
現実世界の”目標設定”とは人間活動という限定された
目安、基準に過ぎず、さらに奥を探求することで、

より本質、根源的な視野から導かれた答えが
『悟り(解脱)』でした。

『悟り(解脱)』は人それぞれの解釈や考えがあり、
そのため誤解や認識の違いやズレが生じやすいため、
説明が難しいのですが、あえてわかりやすい言葉で
表現するなら、

『常に自分の意識状態に気づいている(客観視)』

ということで結果としていかなる状況であろうと、
物事を冷静に観ることができるわけです。

真理ど真ん中の表現をするなら、

『本当の自分(普遍意識)を顕現する』

となります。

現状において『悟り(解脱)』に至っていないから
言えることではありますが、

人生でたどる道はそれぞれ異なれど、
誰もが起きる事柄と真剣にそして素直に
向き合い続けることによって、

「自分が誰なのか?」、「どうして学ぶのか?」
「人生は何のためにあるのか?」
といった

“自己探求”、”人として究極の疑問”と隣り合わせで、
人生の真の目的、生きがい、使命、役割などと
密接につながっているように思えるのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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