人間関係の最強ツール「あいさつと感謝」

私たちは日頃掛け合う「あいさつ」について、
学校でクラフ活動の先輩と接する時とか、
会社のマナー研修を受講するなど、

それに見合った機会がないと、
あえて意識して考えることはないように
思います。

「あいさつは人間関係の基本、始まり」
とも言われ、日常生活をするに当って
基本中の基本であり、当然のことと捉えたら、
その通りとしか言いようがありません。

ところが、この度前職と同じ職種の
マンション管理員とは言え、
新たに異なるマンションの勤務となり、
当然のことながら、人間関係も新たな始まり
となりました。

「所変われば品変わる」
このことわざ通りの状況が
目の前で展開されていきました。

それがわかっているつもりで、
私なりに気持ちの切り換えはしていたのですが…

新鮮な感覚を味わう一方で、初めてという状況から、
どうしても緊張感やプレッシャーも
感じざろう得ませんでした。

しかし、最終的に今回の職場については、
私自身の心の深いところ、
言わば“魂が選択した”という
自負のようなものを感じていましたので…

何を言おうと、それはある種の言い訳であり、
私の自我意識、エゴから出てきたワガママ、
身勝手さでありました。

「起きていることは正しい」

「問題は生じていない」

この真理を指し示している言葉を
素直に受け留められないため、遠回りもしくは
足踏み状態をしていたように今なら思えます。

心や意識が未熟で無知なごく普通の人間である限り、
そのような状態さえも「自分の学び」として、
成就していくことが大切なことだと、
改めて思う機会となりました。

何だかんだ言ったにせよ、また思ったにせよ、
結局、“自分の足元”、つまり現実の世界にしっかりと
向き合っていかなければならない、
ということです。

それが冒頭に書いた、あいさつのことであり、
次に必ず想いとして出てくる感謝の気持ちだと、
再度認識することがてきました。

このことに限らず、日常生活をしていく中で、
「当たり前」とか「ささいなこと」とかの表現に流され、
また無意識に見過ごされ、そのまま忘れ去られるような
ケースは多々ありますが…

しかし、一歩、それがダメなら半歩でもいいですから、
もし、少し辛抱強くあえて意識していこうと意志を
前向きな気持ちで持ったならば、
その後の展開が変わっていく可能性は十分に
あるように思うのです。

ただ、現実を見ていくと、
そのことを注意深く心に留めて実践している人々は、
まだ未熟な私自身も含めて、皆無に等しいと言っても
過言ではないように思います。

「何のためにこの世に生まれ、今生きているのか?」

「何のためにこの地球で学んでいるのか?」

そんなひとりの人間としての“原点、ルーツ”
自分なりに学んできた視点で気づいてきたことを
真剣に集約していくことによって、

「本当に自分がこの世でやりたいこと」

これをこの世で死を迎えるまでに、
明確にしていかなければよらない最重要ポイントであり、
同時に『使命の発見』に最善を尽くして
活かしていかなければならないことが、
不可欠となってくるように思います。

「あいさつと感謝」から始まって、
少々話が大きくなってしまいましたが、
出来事を通しての経験を深く突き詰めていったなら、
決して的は外していないことだと思います。

だから、あいさつは単に言葉をお互いに交わす、
という行為だけではなく、言葉を掛け合うことで、
意図的に“エネルギー(波動)の交流”が生まれている
わけです。

この波動交流は、人間の目で見ることはできませんが、
確実に存在感、雰囲気を通して心へ影響していきます。

例を上げれば、当初はこちらからあいさつして、
たとえその時、相手があいさつをしてくれなかった
ということであっても、何度か繰り返していくうちに、
あいさつをしてくれるというケースのように、
必ず変化していきます。

つまり、目に見える「視覚化」といった
具体的なことではなく、「感覚」「感じ」という
“感じる”ということによって、

自分でも気づかないうちに波動というエネルギーの
影響を受けることで、時間の経過とともに
次第に心の変化として現れていくわけです。

いずれこの微妙で繊細な心の変化を、
「客観視」「俯瞰視」「観察視」といった、
“心と距離を置いた視点”で観ることによって、

心に余裕というのか、ゆとり感のような
心境の変化が現れてきます。

そのプロセスは幼子のように忘れかけていた
無垢で素直な感情の気持を思い出すかのように
変容していくことで、その結果として、
「感謝」「祈り」という愛に根ざした想いが
次第に出てきます。

つまり、“心の純度がバージョンアップ”するわけです。

また、それに追随するように、思いやり、やさしさ、
謙虚さ
も醸成されていきます。

さて、結論になりますが、私たちはあいさつという行為を
惰性や慣れも手伝って、つい軽く見てしまいがちですが、
あえて意識して心を込めて丁寧に行なうことによって、

「決して侮ることなかれ」

それが真実であり、また正解のように思えるのです。

それこそが、心の淀みがなく気持ちと身体が一体化し、
「想い」「言葉」そして「行為」が一直線となった、
『カルマ・ヨガ』を指し示しているということです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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