苦しみの中から見出したもの

坐骨神経痛が発症して4ヶ月の月日が経ちました。
まさかこんなに苦しく辛いものとは予想さえできませんでした。
当初は自宅から近い鍼灸整骨院で頻繁に治療を受けましたが、
苦しさの内容が入れ替わったに過ぎませんでした。

例えて言うなら、出口の見えない真っ暗なトンネルから
なかなか抜け出せない感覚を長い間引きずったままで、
それは今も続いています。

こんなことは60数年の人生で経験したことはなく、
症状を抱える右足全体に激しい痛みや痺れが走る度、
最近の私には珍しく、焦り、不安、恐怖といった、
ネガティブな感情が抑えきれず表出しました。

不定期に襲って来る、しつこい激痛と痺れにあえぎ、
“自分で自分が嫌になるの”を久々に味わうこととなりました。
しかし、右足が自由に動かせない厳しい状態でありながら、
仕事と家事は苦痛に顔を歪めながら気力で遂行しました。

そうした背景は、私自身の頑固な性質とも言える、
“強い使命感、責任感”から行動することを
選択していたように思います。

一方、私の仕事を管理している所属会社の上司とは、
これまでの背景と諸事情から信頼関係を築くことが
困難と判断し、私の身体の状態について、
一切報告しませんでした。

敢えて“一定の距離を置く”ように
心がけるようにしました。

不思議とその方が気分的に楽なこともわかり始め、
また、たとえ不自由な身体の状態であっても苦痛を通して、
『本当の自分(普遍意識)』に戻してくれることで、
その中から“次の行動”を見出せました。

“次の行動”を見出す足掛かりとなったのは、
下記の著書に書かれていた言葉だったように思います。

「神を信頼することができるなら、
 あきらめる必要はありません。
 ときには八方塞がりで、どこにも出口がないように
 思えるかもしれません。
 でも、注意深く見渡せば、大きく開かれた出口が
 まだたくさんあるのが見えるはずです。」ーアンマ

 マートルヴァーニ日本語版 2019年3月号

いかなる場合にもその状態から逃れようとしたり、
不安を抱くといった否定的な想念を持たずに、
神のはたらきに対して絶対的な信頼を持って
平安な心の状態に意識を置いていると、
全智、万能である普遍意識が全ての波動領域における媒体を
完全な状態で維持し、外界との調和した関係を創り出しますから、
あらゆる問題は自動的に解決さけます。
(このことを「困ったときの普遍意識」と言います。)

新版 黎明 下巻p225 L14~17 葦原瑞穂著

そして、実際に“行動した結果”

知人から直接耳にした、

「この地上でしか経験できない!」、

ご指導頂いている先生がよく話されている、

「試練は神からの祝福です」ーアンマ、

「起きていることは正しい
(自然法則通りのことが、今、目の前で起きている)」

「楽な道に答えなし」

これらのフレーズが頭ではなく、
“魂にしっくり響き渡るように、
腑に落とすこと”
ができました。

後日、病院で腰部のMRI検査で、
腰椎に椎間板ヘルニアがあることが判明し、
坐骨神経痛の原因がわかりました。

既に適切と思われる運動療法を
インストラクターの指導を受け、
取り組み始めていました。

実際に取り組んでみて個人的ではありますが、
まるで心の中で符合するかのように、
驚きとともに更に腑に落とせたことがあります。

それは取り組む姿勢そのものが、
日常から意識するよう心掛けている、

『カルマ・ヨガ』でしたので、

“しっくりと心に馴染み収りました”。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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