人生は試練と恩寵との組み合わせ

家内が勤務している会社の同僚の方から、
その娘さんがミュージカルに出演することになり、
それを観劇する機会がありました。

クラシック音楽なら大阪のシンフォニーホールに
足を運ぶことはありますが、
女子大生のミュージカルの観劇は初めてで、
期待と不安を抱えての参加でした。

ある女子大学内の会場で行われたのですが、
若さ、パワー、スピード感あふれる熱演を観て感動し、
それで終わりと思ったのですが・・・

最後のフィナーレ、アンコールの曲を聞いているうち、
突然、両目から涙がドーッと出てきてしまい、
抑えることができませんでした。

以前にもこのような経験は何度もあり、
「あーっ、またか!」という感じで、
私だけでなく家族も周知している事柄でした。

何かのキッカケで、“心の琴線”に触れることで
“一気に感動の極みに達する”ぐらいの認識しか
ありませんでした。

しかし、今回の経験をした際に、

「どうしてそのようになるのだろうか?」

という疑問とともに明らかにしたい想いが
ふと出てきました。

彼女たちの純真無垢な歌声を聴きながら、
同時に私の心の中の反応を観ていくと、

実際の歌詞の言葉とその場で創り出された
私のイメージがつながっていき、

“地球”、”愛”、”宇宙”、”使命”、”光”、”永遠”

そのような言葉に“私の魂が反応している”ことが
わかりました。

いずれも、スピリチュアルの世界で聞き慣れた
言葉ではありますが、本来の意味の理解に少しでも
近づいたのか、

“魂に響き揺さぶる”

頭の思考を越えた領域で、言葉を音声や文字といった、
身体の五感(管)の情報に留まらず、

“エネルギー”、”波動”、”第六感”、”直感”など、

今の私にはこの経験が何を意味しているか、
今だによくわかりませんし、
理解が進まないことも多々あります。

だからと言って、それをさらに深く探求しようとする、
また答えを追い求めることは“エゴにハマること”
直結していきます。

目に見えない、耳では聞き取れない、
それは五感(管)を超越した各個人が持つ、
“感覚”、”感性”へとつながっています。

普段の生活からは決して得られない、
感動に満ちた深い喜びと涙は“神からの恩寵”と言え、
“本源に根ざした行為”、自分の魂とつながっている
『普遍意識の顕現』と言えます。

その一方で、私自身に必要があり、また適切な時期に、
現実世界の目の前に“試練”として現れたら、

「試練を経験する役目(使命)がある」

と考えるように努力しています。

これはあくまでも個人的見解となりますが、
音楽という芸術を通して“感覚”“感性”を養い、
磨いていくプロセスがあることによって、

それが前出の“目の前の試練”に対して向き合う
“心構え(マインド)”の支えとなり、
“次の的確な行動へと結びついていく”ように
思えるのです。

ただし、それは同じような経験をしないと、
傍からは到底理解不可能な感覚であり、
他人と共通認識に至ることは稀です。

さらに行動の結果がどうであれ、成否に関わらず、
その時点において有効な識別心が養成されていく
ように過去の経験から確信できるのです。

“神のなせる技”と言えば聞こえも良く、
また大げさに聞こえるかもしれませんが、

「試練と恩寵の帳尻合わせは完璧」

そのような表現ができるように思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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