本音に勝るものなし

会社というのは組織が大きければ大きいほど、
上下関係をはじめ人間関係も複雑化していきますので、
余程強い意思を持ち続けない限り、

個人の考えや想い、意見などが周囲にストレートに
反映される機会が少なくなりがちで、
さらに仕事のストレスやプレッシャーといった、
心理的な要因が追い打ちをかけてきます。

その結果、自分でも気づかないうちに
心の変化が頻繁に起こり、感情の制御を失うことで、
本人も自覚できず、思いもよらぬ言動をしてしまう
こととなります。

先日も、私が所属する会社の担当者から、
仕事上のことで不適切な言葉が突如発せられ、
私は固まってしまい、言葉に詰まってしまう
場面がありました。

ただ、その背景となったのは、
思えば、私が“ある動機”から意識して、
彼への対応を変えていったのが一因にある
ように思います。

今の仕事がちょうど一年を過ぎる頃、
私自身がひとつの節目のような感覚があり、
“職場環境を変えたい”というのが
事の始まりでした。

ところが、心の中では常に、
「上辺の安定を求め、変化を嫌い、
 波風を立てたくない」

というエゴとの葛藤の連続でした。

それでも、諦めず下記の“原点”に何度も何度も
立ち返ることで、

「なぜ、今その行動を起こす必要があるのか?」

その答えが、“ある動機”にありました。

それは、個人のためという“小さな目的”
成就するのではなく、会社の担当者のみならず、
仕事上の関係者、さらには私の仕事を引き継ぐ
未来の人たちを見据えて、

“人のため、社会全体のため”に基づいて考えた末、
私が考え得る“大きな目的”であり、
同時にそれは“私の使命”にも通じるものでも
ありました。

「本音と建前」という表現がありますが、
先述の「上辺の安定を求め、変化を嫌い、
波風を立てたくない」
という個人的な想いがエゴ、
つまり、“建前”に相当するわけです。

私は“建前”を否定するつもりはありませんし、
内容や状況によっては一時的に必要なケースも
あるかと思います。

ただし、危惧されるのは、“建前”のままを
自己の都合や思慮深さに欠けた判断を続けていくと、
“自分の考え、価値観が正しいと錯覚してしまう”
その点にあるように思います。

その結果が“自分自身の心のバランスを崩す”ことに
つながっていくわけですが、
私のこのブログ初期、暗黒時代のシリーズで書いた
サラリーマ時代がまさにそれでした。

だから、会社の担当者と接していると、
当時の私の心境と共通している点があるのか、

“私と似ている”と感じられ、

一年近くの混乱や混迷の末に思いつつも、
今回の“大きな目的”へ方向転換することによって、
ようやく私の心の中で徐々に整理ができ、
“私自身の原点”に立ち戻ることができたように
思います。

それは、私が“建前”という
“外面的で同じ土俵”にいる時よりも、
袂を分け、本来の意識状態がべースとなる、

“本質的、根源的な土俵”

つまり、『本音で生きる(活きる)』ことの方が、
ありのままの姿で楽であることに、
ようやく気がついたのです。

そのような背景があって、
今回のブログのタイトルは、

『本音に勝るものなし』としました。

私に限らず、人は皆んな状況は違えども、
人生でどんなに苦境や困難と思われる状況でも、
その苦しく辛い経験と向き合うという
選択をすることが、この世でしか味わえない
貴重で必要な学びが得られるように思えるのです。

他人には決してわからない、その辛苦の経験こそが
肉体を通して血肉化していくことによって、
波動として魂にしっかりと刻まれていきます。

“決して諦めない”

そして、

“どんな状況であっても必ず立ち直れる”

という忍耐と精神力の結実となり、
“今日が在るありがたさ”へつながっていく
ように思えるのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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