他人からの影響の考察

家庭内や仕事先でどうしても
避けて通ることができないのが、
人間関係と言えます。

お互い毎日のように顔を突き合わしていくわけですから、
好きであろうと嫌いであろうと、
性格が合っていようといなかろうと、
意思疎通が取れていようといなかろうが、

結局のところ、協力する方向で
やるべきことはやっていかないと、
周囲のことを含め、物事が回っていかないこと
も事実です。

また、このようなことは表面的、
部分的なところを見ているに過ぎず、
心の内面、つまり、メンタル面を観察していくと、

「意外にもご本人さえも何もわかっていない」

という側面に気づくことがあります。

そして私が最近に経験したことなのですが、

「他人からの影響を受けていた」

それが実感(疲労感)として身体に残った、
という出来事でした。

マンションでの管理員の仕事というのは、
マニュアルに基づき、管理員自身が主体的に判断し、
清掃や巡回、出入り業者り対応など基本的な行動を
取っていくのが通常業務です。

ところが、マンションによっては、
住民の方から仕事内容で不満を言われたり、
場合によっては指示や干渉に発展するケースも
出てきます。

そんな状況となった時、
管理員自身の判断に迷い、焦り、不安、葛藤などが
生じてしまい、次の行動になかなか移せない
という事態に陥ってしまう可能性が出てきます。

所属会社の上司や担当に報告、相談するというのが、
通常の流れではありますが、
ところが、上司や担当の資質、やり方によっては、
都合よく事が運ばないケースも出てきます。

こうなると結果的に双方の影響を受けた末、
誰も頼りにできず、最終的には自分自身で
判断していくしか選択肢がありません。

ある意味、こんな状況こそ、
“メンタルを試されている”とも言え、
人によっては孤独感に苛まされ、
現場から逃げたいと思ってしまったり、

また、不平不満が募ってストレスが溜まり、
何かに憤りをぶつけたい、そしてスッキリしたい、
そんな心境になるのも不思議ではありません。

私の場合、そんな状況の中で振り回され、
心が混乱し自分を見失いかけて、
何度も心が折れそうになりましたが、

“ブレては気づいて戻すことを繰り返すうち、
何とか抜け出すことができました”

ただ、その中で副作用のように感じ、
気になり検証の必要性を感じたのが、
前出の実感(疲労感)でした。

精神的な疲労感の自覚があったのですが、
その正体が何であるのか、
当初はわかりませんでした。

他人からの影響を受けることで、
自分の仕事のペースや組立てが崩され、
自分でも気づかずに、心のバランスが乱れて、
憤り、焦り、不安といったネガティブな状況へ
陥ってしまったように思います。

結果として、憂鬱な状況から抜け出せたとはいえ、
こんな時にいつも思うのは、

「何でもっと早く気づくことができなかったのか」

決まってそんな言葉が出てきて、
つい自分を責めてしまうことなるので、
そうならないよう踏み止まることを
意識することが頻繁にありました。

どんなに辛く過酷で厳しい状況であったとしても、
自分が選択した末、決めて歩んだ過程である以上、
事実を変えることはできません。

自己責任としてしっかりと受け留め、
過去を振り向えらず、もちろん後悔もせず、
魂とつながっている覚悟、自覚を持つことが、
必須になってきす。

そのことは日々少しずつでもいいから、
目の前で起きた出来事が“神の恩寵”
素直な気持ちで感謝で受け留め、
謙虚になる姿勢が鍵となってきます。

自分を責めたり、抑えつけるのではなく、
親が子を優しく見守るように戒める、
そんな愛のある気持ちで臨んでいけたら、
いいように思います。

そのためのベースづくりとして、
下記の短い言葉を記憶に留まらせるのではなく、
魂に染み込ませるように刻み込んでいくことが、
この現実世界でとても有効に働くように感じます。

「注意深くあれ」

「先に感謝する」 

「他は我非ず」

「楽な道に答えなし」

「結果に執着しない」

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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今後の励みになります。

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