ペットの生命力から共感し得た学び Part2

ペットという動物を飼うに当たって、
当然のことながら、飼い主はそのペットを最期まで飼い続け
看取るという責任を持たなければなりません。

私の場合、前回のブログに記述した犬でしたが、
その時はかなり悩みました。
飼うことそのものに抵抗はなかったのですが、死んだ時のことを考えたら…

そこでどうしても“迷い”“不安”が出てきました。

“辛い、悲しい、そんな落ち込む気持ちになりたくない”
そんな想いが心の中から出てきたからだと思います。

その時初めて、ペットを飼うということは、
同時に責任が生じ、その重みを背負うということを識りました。

最終的に「飼いたい」という想いの方が責任に勝る形となり、
自宅で面倒を見ることとなりましたが、
すべてが初めてのことでしたので、必死で犬のことを想いながら、
飼う環境づくり、フードなど何から何まで試行錯誤の連続でした。

皮膚が荒れて被毛の一部が変色したり、下痢が数日続いたりすると、
すぐに動物病院へ連れて行き治療を受けましたが、
獣医師からその症状に至った経緯、原因などを聞かれても、
犬は人間のように話ができませんので、
全く返答することができませんでした。

「まだまだ犬のことを理解していない」
そう思うしかありませんでした。

そんな不慣れで危なっかしい飼い主の状況に関わらず、
犬自身は我が家の環境に少しずつ慣れていきました。

元からの性格が甘えん坊で人好きだったことも
幸いしたのかもしれません。

ところが、犬は人間の4倍ほどの早さで成長するため、
10歳(人間年齢・50代半ば)を超えたぐらいから、
次第に体調に変化が出てくるようになりました。

そして、13歳と15歳の時に下痢と嘔吐を繰り返す
大腸炎と見られる病気にかかり、
食欲がなくなって何も食べられなくなり、
衰弱してかなり危険な状態となりました。

それでも、動物病院の獣医さんの適切な治療のお陰で
何とか元気に回復することができました。

このような状況を繰り返していく度に、

「いつかはその日が来る(死ぬ=肉体から離れる)」

そうゆう想いが必ず頭の中をよぎります。

たとえその時に不安や心配、恐れの気持ちになったとしても、
その自分の気持ちに少しでも早く気づくことで、
楽になっていき、最終的に”その日”に備えての
「心の準備」というか「覚悟」というか、
そんなのを自分なりに心の中で築いているように
思えるようになりました。

この犬と12年以上も一緒に生活を共にしていると、
情が湧いてきて人間関係の本質と同じような、
お互いが識っている状態、そんな存在になりつつあるのを
感じられるようになりました。

別の表現をするならば、どんな状況であったとしても、
“愛のキャッチボール”をしている、
そんな感覚のように捉えています。

最後にペットのことについて著書・黎明の中に
とても印象深い行があり、引用して終わりたいと思います。

猫や犬、馬等の比較的進化して動物で、特に人間と生活をして
長年愛情を注がれてきたような個体は、意識が進化した分だけ
個体意識を維持するエネルギーが強くなっているために、
肉体を離れた後も集合意識に吸収される事無くアストラル体を保って、
地上時代に縁のあった人の周辺に留まることがよくあります。(中略)
愛は宇宙最大のエネルギーですから、動物もまた人間から
愛情を注がれることが最も早い進化に繋がりますので、
その動物の個体意識が肉体を離れた後にも、地上に関わった人が
強い愛情を向け続けているような場合には、そのエネルギーに因って
動物の個体意識はアストラル体を保ち続けることができますから、
その人の地上生活が終わってからアストラル・レヴェルで
再会することもよくありますし、その動物が充分に進化していれば、
人間として初めて個別化される魂の過去生の経験として
吸収されることさえ起こり得ます。

[新版 黎明・上巻P167L11~L21]

※引用文中の「アストラル体」とは精神領域での姿形のことで、
 また、「アストラル・レヴェル」とは精神領域の1つの世界のことを
 指しています。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください