真の人生を歩んでいくには Part1

人生を振り返ってみると岐路に立たせられる度、

「この世に生まれてきた目的は何なのか?」

「自分の使命とは何か?」

「何のために自分の人生があるのか?」

このような疑問をどなたでも一度は持ったことがあるかと思います。

個人的には何度も何度も繰り返し、どんなに熟考しても
“答え”にはたどり着けなかった、
そんな苦い経験や想いだけが記憶に残っています。

ところで、前回のブログで最後に”この行法”と書いたまま
その内容については触れてませんでした。

行法という言い方をすると行者の修行のような印象を
受けるかもしれませんが、決してそうではありません。

その行法とは、”ヨガ”のことを指しています。

“ヨガ”の本来の目的・意義は、宇宙、自然、神という
大いなる存在との合一、一体化にあります。

“ヨガ”と言っても、街中で見られる美容目的のホット・ヨガ、
または「アーサナ」と言われる体操のようなポーズをするヨガ、
それらとは異なります。

現代の生活様式、つまり家庭や仕事と言った、
普段の日常生活に取り入れて、十分活用できる”ヨガ”のことです。

いつでも、どこでも、そして誰でもすぐに始められて、
ヨガ教室に通うといった時間や場所の制約もなく、
またお金もほとんどかからず、身体に痛みや苦痛といった
悪影響を及ぼすこともない、安心してできる”ヨガ”です。

それは、古くからインドで伝承されてきた、
カルマ・ヨガ(行いのヨガ)と言われるもので、
神に捧げるような神聖な気持ちで、
心で想い、言葉で語り、身体で表現、行動するという、
とてもシンプルなものです。

具体的には、目の前のことをひたすら真心を込めて丁寧にやっていく、
日常生活にまつわる睡眠以外のすべての事柄(カルマ)が
その対象となります。

小学校の道徳で習ったことを実践するという感じで、
一見簡単に思われるかもしれませんが、
これを意識して、しかも継続して行なうことは
難しいと感じられると思います。

私も続けてはいるものの、”心ここに在らず”、という感じで、
つい他のことや気になっているを考えて妄想にハマったり、
また、うっかり意識するのを忘れて無意識や惰性になって、
目の前のことに集中して行動していなかったり、
まだまだ途上の過程にあります。

ここまで読まれて気づいた方、または疑問に思った方も
おられるかと思いますが…

このカルマ・ヨガ(行いのヨガ)は、一体何のためにやるのか?

つまり、カルマ・ヨガ(行いのヨガ)の目的です。

その1つが、冒頭に出てきた、

「人生の真の目的」「この世に生まれてきた使命」など、

実はこれらのヒントや手がかりはすべて、
現実世界で今、この瞬間、
目の前、足元に既に示され続けています。

そのお膳立てをしたのが、この世に生まれる前の自分、
つまり、「魂の自分」という概念が
スピリチュアルを探求していくと必ず登場します。

「魂の自分」がハイヤーセルフ(高次元の自己、指導霊、守護霊)
とともに「人生の設計図」をプロデュースする
「魂の設定(目的)」と言われるもので、
この世に生まれてくるという計画の中で、

“魂をより磨くため、または学びを成就してより成長するため”
いくつかの設定パターンの中から1つを自ら選択して決め、
さらにその効果を最大限に引き出すため、設定そのものを
すべて忘れて地上に来る(生まれてくる)と言われています。

こんな話をしたとしても、確かめようもない
何の証拠や根拠もない話のオンパレードですので、
当然のことながら、人によっては信じる、信じない、
無関心など、考えが分かれて来るかと思います。

不確かなで浮世離れしているスピリチュアル情報を発信することで、
世間の冷たい目や不信感が根強く存在していることも事実ですので、
その結果、現実社会において人々の中になかなか浸透していかないのも
無理はありません。

しかし、そのような社会的評価を脇に置いてみて、
新たな選択肢の1つとして否定せずに観察するように見ることで、
「仮に」とか「そうかもしれない」とか「もしかしたら」とか、
というように”可能性の範囲”で受け留めてみる、

つまり、一旦は仮定、仮設で捉えてみて、
最終的に“自分自身のハートで確かめてみること”をお勧めします。

いわゆる『自調自考』のことで、
字のごとく自分で調べて自分で考える、
それを実践するということです。

このことによっていずれ時が経過した後、
その価値が貴重な経験という形で
心身で実感できるかと思います。

そのような柔軟性のある観点からより深く考えていくと、
「魂の自分」であろうが自分にとって大切な人生なのだから、
また、魂とはいえ自分のことはわかっている前提があるなら、
「無理のない、必ずできる」という目標設定をするように思えるのです。

これは自論の展開に過ぎないかもしれませんが、
すべて忘れて生まれてくるという何も手かがりのない、
全くわからない状態から、何らかの手がかりをつかむために、

もし、自分自身のため少しでもわかりやすく、
または取り組みやすいという設定をするのであるならば、

地上に降り立った時、現実世界で自分の目の前に展開される、
「人」「事」「物」というあらゆる事象に対して、
向き合えるようにすることが身近で最適な手段と思えるのです。

これはまさに、リアルな『自作自演』という
表現通りの状況と成り得ます。

この『自作自演』こそが、「魂の成長」にとって
必要不可欠なプロセスであり、現実生活の中でカルマ・ヨガを
実践していくことが、記憶から忘れていた「魂の設定」を
少しずつ思い出すための最も有効な手法と言えるのです。

それが、現実の仕事であり、家庭であり、人間関係であり、
さまざまな物事や出来事に対して、丁寧に愛を持って心を込め、
どのようにして向き合えるか、そして継続していけるか、

それが、カルマ・ヨガの実践の”鍵”となります。

つまり、カルマ・ヨガとは『本当の自分』を識るため、
生涯を通じての行法であると言えるのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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