心と素直に向き合うためには
“無知“のことをわかりやく例えて言うならば、
月明かりも街灯もない真っ暗な夜道を
懐中電灯の“灯り”という存在すら全く知らないため、
何も持たずに目的地へ向かって歩くようなものです。
もし、このような状況になると、
私たちの多くは、少なからず不安、心配、そして恐怖に
襲われがちとなります。
つまり、私たちが“無知”であることによって
結果としてつくられるもの、
それが『恐怖心』ということになります。
ところが、悲しいことに私たちは“無知”であることさえ
自覚できないために、『恐怖心』を克服する術がありません。
そのために、“自分を責めたり、抑えつけたり、
偽ったり、卑下したり”
また、その場の状況から、“逃げたり、避けたり、
無関心を装ったり”と、
本来の自分の心の状態から解離しているために、
何らかの出来事が引き金となって、
『恐怖心』 がその都度出てくるという状況になってしまう
可能性があります。
『恐怖心』を克服したいのであれば、
先述のように“無知”を自覚していくしかないのですが、
本やテレビ、インターネット、人から聞いた話など、
必要と思われる情報を“知識”として頭に入れただけでは
おそらく難しいと思います。
というか、よりハッキリ言うならば、
『恐怖心』の克服など、生涯かけても無理だと思います。
![](https://hikariari.com/wp1/wp-content/uploads/2021/09/CIMG1303-300x225.jpg)
『恐怖心』の克服のヒントとなってくるのは、
心で想い、言葉で語り、そして身体を使っての行動という、
“人間の原点に根づいた表現”をすることで、
そこから得た体験や経験にもとづいた知識、
つまり“智慧”を使いこなすことにあります。
よりわかりやすく言うなら、
頭の中に入っているさまざま情報は単なる“知識”で、
その“知識”をもとにして心身を使って表現され、
得られた体験や経験によって“智慧”として
蓄積されるということです。
この“智慧”こそが、
人生の思わぬ時、どん底の時、危機に瀕した時に、
冒頭の懐中電灯の“灯り” とは比較にならない程、
明るく強力に輝く“光”となります。
そして、この“光”こそが“無知”すなわち“無明”を照らす
いわゆる“灯明”となります。
実践の場で“智慧”を使うことを積み重ねて行けば行くほど、
“本物の知識”として身体に血肉化していくことで、
“無知”の領域が少しずつ減少していくことになります。
このことをさらに表現を換えて言えば、
長年の間、個人的にしがみついていた
価値観、固定観念が外れて、もしくはより広がっていき、
幼い子供の心のように純粋に素直になっていく、
という言い方もできます。
この“純粋さ”と“素直さ”が重要な要素で、
さらに、大小に関わらず何らかの行動に移す際には、
“初心に返って”とか“初心のつもりで”という
いかに“新鮮な気持ち”で臨めるかが鍵となってきます。
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