『気』についての考察
「元気」「やる気」「寒気」「嫌気」「雰囲気」「気合い」「気持ち」「気配」
これらの言葉にはすべて『気』という字の組み合わせとなっています。
すべて形のないもの、見えないものですが、
「身体の内側から感じるもの、外側から感じられるもの」を表わしています。
一方、精神世界、スピリチュアルでは『波動』という言葉がよく出てきます。
この『波動』は読んで字のごとく、心の動き、バイオリズムのような
「波のような動き、波形」を表わしていて、
電磁波、(超)音波、振動波、光波、熱波といった、
同じようにすべて形のない、見えないものを表わしています。
『気』との違いは、対象物によっては専用の機器類を使用することで、
計測や測定といったことが可能なことです。
しかし、先程の『気』を使った言葉の身体の内外から
感じ取れるものとは異なり、“物質的な性質”という側面で
捉えてしまう傾向があり、どうしても“別のもの、異なるもの”
という見方になりがちです。
ところで、自然界にある、もしくは人工的につくられる、
電磁波、(超)音波、振動波、光波などは私たちの心身とは
果たして無関係な存在のでしょうか?
形のない、見えない、触ることができないだけで、
この地球上に存在していることは事実なので、
実際は身体のすぐ側にあったり、あるいは身体の中を通り抜けたり、
また、共鳴、共振していたりする可能性も十分にありながら、
残念なことにそれを身体の五官で感じ取ることができない、
という見方もできるわけです。
![](https://hikariari.com/wp1/wp-content/uploads/2020/11/CIMG0970-300x225.jpg)
つまり、前者の『気』と後者の『波動』、文字は異なりますが、
本質的な意味は同じです。
もっとわかりやすく言えば双方とも『エネルギー』という存在なのです。
ただ、私たちは、そのようなことまで認識したり、
理解するしたりする必要性を感じていないだけなのです。
その前提となっているのは、”物事を分ける、区別する”という考えから
生み出された、「価値観」や「固定概念」といったものです。
この「価値観」や「固定概念」を持つことで、
日常生活という物質に囲まれた世界の中では
“基準”、”柱”となる考えという側面では重要なのですが…
ところが、形のない、見えない、触ることができないという、
ある意味、分離感のない調和が形成されている『ひとつ』という世界では、
それが足かせになる可能性が出てきます。
ですから、前出の『気』は『波動』でもあり『エネルギー』でもある。
逆もまた然り、というように言葉の意味を超えた、
本質の意味で捉えていかないと『ひとつ』の世界を理解するのは
難しいことだと思います。
“難しいこと”だから、面倒くさい、全く興味・関心がない、
根本的に合わない、頭が混乱する、などと思いがちですが・・・
本当の意味で自分らしくこれからの人生を生きていきたい、
そのことを心の底から本気で望んでいるのであれば、
コロナ禍や自然災害が起きている今の地球全体の動静を観たら、
『ひとつ』の世界を理解する最後のチャンスかもしれません。