心の迷いは「本当の自分」を見失う・後半
前半からの続き
就活先のN社の人事担当者である、大阪支店のM支店長と連絡を取り、
入社内定にこぎつけた事は、唯一の救いで、 ホッとしましたが、
その時の心境は憂うつ感を引きずっていました。
T社の仕事については、ゴタゴタの状態でしたが、
退職する2年前に、中古住宅を購入したので、 陶芸教室を退会し、
電気窯や電動ロクロを購入して自宅で作陶を始めておりました。
曲がりなりにも、陶芸家になるというビジョンというか、
願望は実現に至りました。
数は知れてましたが、親戚や知人から、注文をもらい、
作陶し販売もしておりました。
N社に転職してからは、即戦力として採用されたため、
作陶する時間が取れず、また体調面では腰痛が慢性化し、
モチベーションも段々低下していき、2年程で活動を
止めてしまいました。
電気窯や電動ロクロなどの設備、機材も後日、知人に譲りました。
もったいないという見方もあるかも知れませんが、
私の中では、達成感というか、区切りをつけておりました。
前出の自然食のレストランといい、この陶芸家といい、
人からの影響を受けたにせよ、自分のビジョンという目標に
向かって行動できたことは、決して無駄なことではなく、
自分なりの感性や識別心を向上させることができたように思います。
転職先のN社についてですが、書店に並んでいた求人誌を
購入して申し込みをしました。
仕事内容は、健康食品の営業でした。
最初に勤めたK社の営業が嫌になって辞めたのに、
なぜ、また営業の仕事に就くの?
と思われるかもしれません。
言い訳と聞こえるかもしれませんが、
多忙だったK社の営業時代とは全く正反対の仕事の環境でした。
つまり、T社での事務仕事を1人静かにやり続けていたら、
電話も鳴らないし、人ともほとんど会わなかったため、
孤独感が増大し、”人と関わりたい”という
切なる願望が出てきました。
当時、世の中の景気が悪く、年齢も30代半ばを
過ぎてましたので、仕事の選択肢が限られていました。
さらに時期を同じくして、前出の賃貸集合住宅の隣人も
私達家族の引越しとほぼ同時期に出で行かれました。
また、T社を退職したことで私の表面上の悩みは解決され、
紹介された宗教法人の施設にも足を運ぶ必要性が
なくなりました。
その後、一連の状況を幾度となく
「これで良かったんだ」、
と自分に言い聞かせていたように記憶しております。
同時に、どこか吹っ切れないモヤモヤとした気持ちも
同居してました。
「これで良かったんだ」
この自分の心に言い聞かすような言い方、
本人しかわからない煮え切らない中途半端な感覚、心の不完全燃焼、
心の安定を求めていたのに満たされない、納得できない想い、
転職してネガティブな想いを入れ換え
新たな気持ちで臨んだつもりだったのに、
私が思い描いていたイメージとは何かが違っていた、
それが私の心の中では気づき始めていたということです。
今にして思えば、この時の心境は、T社を強引な形で退職して、
「自分の心を少しでも早く開放させたかった」
そんな自己中心的な想いが強かったように思います。
しかし、現実的にはN社に転職しても自分の思惑通りにはならなかった。
つまり、 ネガティブな想いは解消されないまま残っていたのです。
結果的に、ネガティブな想いを解消したい気持ちのまま、
再びスピリチュアルの世界に関わる人々と新たなご縁ができ、
そこに救いを求めてしまうことになりました。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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