「自立」の本当の意味

「自立」という言葉ほど、自分でしっかりと咀嚼して
その本当の意味を理解して腑に落とすまでに至るのが
難しい言葉はないように思います。

そして、実際にいろんな角度から表現できますので、
本質的な意味を見過ごしている可能性もあるように思います。

例えば、親からとか、精神的にとか、経済的にとかというように、
それらが本当の「自立」を言っているのか、
社会的な立場や都合を念頭に置いているのではないかと、
ときどき疑問に感じることがあります。

普段はそんなことを気にする機会はほとんどありません。

しかし、極端に気持ちが沈んだり、
落ち込んでしまい自信を失いかけた時、
あるいは周囲の人から相手にされず孤独感に苛まされた時、

どのようにしたら立ち直れるか、その分かれ目となるのが、
この“「自立」の自覚”になってくるように感じてます。

それは、「自分に対する信頼、自信」
そのようなバロメーターとなるような基準があるように感じます。
基準と言っても数値化されているされているわけではなく、
“感覚の領域”というようなものでしょうか。

だから、他人からの視点での意見や考えなど、
言ってみれば外部からのものでは本人の内面まで
観たり、計ることなどできません。

したがって、どうしても自分で識別するという行為が必要となってきます。
その基本ベースとなるのが先程の「自分に対する信頼、自信」なのです。
それがないと他人の言うことに振り回されたり、
強い影響を受けることによって、自分自身の“正しい判断”ができなくなります。

それでは「自分に対する信頼、自信」というものは、
どのように培っていったらいいのでしょうか?

①己を識る必要性

私たちは私たち自身のことをよく知っていると思いがちですが、
実はそれはほんのいくつかの側面だけを言っているので、
ほとんど知らないというのが真実だということです。

もし、「自分に対する信頼、自信」を手に入れるためには、
まだ、私たちの知らない側面を知っていく必要があり、
そのための手法として「人生の棚卸」があります。

ここでは「人生の棚卸」について詳しく触れませんが、
簡単に言うと、過去の出来事を洗い出し、自分の性格、性質と照合して、
今までと異なった視点を見出していく、というもので、
新たな気づきを生み出し、そのことによって私たちの知らなかった側面を
知ることができます。

②「自分で立つ」ということの正しい理解

「自立」は読んで字のごとく、自分で立っているということですが、
この立っているとは、どういうことなのかということです。

ほとんどの人たちは、そんなことについて真剣に考えたことはないと思います。
物理的に見て、あるいは一般的な思考では、地球という言わば地面とか地上という
呼び方でその上に2本の足で立っているだけです。

しかし、その状況を人間の五官(感)を超えた視野なら、
家族や親族をはじめ周囲の人々からの温かな想い、
また、守護霊、指導霊、ハイヤーセルフといった霊的存在など、
“あらゆる存在”があるから立っていることができるのです。

つまり、私たちは“あらゆる存在”に支えられて立っている、
より突っ込んだ言い方をすれば、

“生かされている”

という言い方もできるわけです。

この“生かされている”という謙虚な想いとともに、
“祈り”“感謝”の気持ちが実感としてわいた時、
私たちは、ようやく「自立」の本当の意味が
わかり始めることとなります。

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