他人との価値観や固定観念の違いから学ぶ Part2

前回の最後で、
「今の自分に必要な新たな課題が提示されたと思い、
 今回の経験を今後どのように活かしていくのか」

と自分に向かって問いかけをしました。

それは、私自身が冷静さに欠けていて、
自分を見失ってしまいがちだった不安定な心の状態、

過去の事例や今までの経験をもとに話をしても
相手に聞き入れてもらえない、
わかってもらえないことへの焦りと怒り、

など落ち込んだ心の状態となり、
そこから抜け出そうと意識し出して、
その心の状態から“距離を置く”ことによって
本来の自分へ戻っていけたように思います。

この間、その心境に至るまで
数日間を要した状況でした。

私自身が落ち込んだままの心の状態でいるのが、
嫌だったという反動?を利用した感じの
“心の転換”だったように思います。

しかし、私の心が冷静さを取り戻すことが
できたとしても、現実は相手と間で
問題が解決したわけではありません。

このままでは現実世界では問題が未解決のままとなり、
どうすることもできないとあきらめてしまうことで、
中途半端な状態に終わってしまいがちです。

ただし、私たちの心の世界である、
想念の精神領域では状況が異なります。

その世界では、言動という形でなくとも、
“以心伝心”という言葉があるように、
“自分の想いは必ず相手に伝わります”

私たちはそのような機会に出会うことが少ないため、
信じ難いことと思われても仕方ありませんが、
それが本当ことであり真実なのです。

では、今回のようなケースのような時に、
具体的にどうすればいいのかというと、

相手に対して自分の想いを“祈り”という表現で
伝えていくということになります。

確かに現実としてはすべて終わっており、
既に過去の出来事となっています。

ところが、想念の精神領域では過去、現在、未来という
時間の観念が存在しません。

つまり、今回のように過去の出来事であったとしても、
“祈り”という想念を放てば相手に届くということです。

“祈り”の言葉は特に決まりというものはなく、
もし、彼らが目の前に居るというイメージを浮かべながら、

「落ち着いた和やかな気持ちで接することができますように」

「平安な心で調和の雰囲気で話ができますように」

というような言葉を丁寧に真心を込めて心の中で唱える、
これだけのことです。

そして大事なことは、

「本当に相手に伝わるのか」という疑念、

「伝わって相手の心が変わって欲しい」という期待、

「そんなことをしても伝わるわけがない」という否定感など、

つい祈った後に想ってしまうと、せっかく放った“祈り”
打ち消してしまい、やった意味がなくなってしまいます。

“祈り”が終わったらそれで終了となり、
後は何も考えないというのがベストです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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どうぞよろしくお願い致します。

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