氏名=使命から「自分の価値」を識る

最近、数年前にベストセラーになった本で、
「あなたがお空で決めたこと」(西田晋著)を読み、
とても興味深い箇所がいくつかありました。

スピリチュアル本と言ったらその通りなのですが、
子供にも読めるように書かれた本で、
とてもわかりやすく一気に読んでしまいました。

スピリチュアルに興味のある方、興味のない方、
神様の存在を信じる方、信じない方など、
さまざまな考えの方がおられますので、
本の内容については詳しく触れませんが、

宇宙、私たちの住んている地球、
そして私たちひとりひとりが
感じている感じてないに関わらず、

やはり確実に“変化の波”が来ているようで、
言い換えるなら、『地球のアセンション』について
肌感覚で感じざろうえない内容だったように思います。

さらにこの本の内容を自分事に置き換えた視点で
観察していくと、“新たな発見”が見出だせることが
できましたように思います。

それは私自身が今生の“地球に生まれてきた目的、使命”
つまり、『魂の設定』について改めて見直す、
いい機会となりました。

具体的には既に他界している私の両親との関係について、
記憶に残っている生前の言動を思い起こしていくことで、
あるキーワードが浮き彫りになってきました。

亡くなった両親は私に

「何を伝えたかったのか?」

「何を期待し望んでいたのか?」

そのようなことを通して熟考することで、
私の“生まれてきた目的、使命”の一旦が観えてきたのです。

例えば、この本にも出てくる、氏名=使命というか概念を
私自身に当てはめてみたら個人的な捉え方となりますが、

「田中俊一」とは「田中」とは「田んぼの中の存在」で、
つまり「稲作や畑仕事といった農耕で生計を立ている」
ということを表わし、

また「俊一」は「能力が秀でた者」という意味があり、
つまり「人を導いていくリーダー、指導者」のような存在を
表わしていると思われます。

と言いながらも現実世界ではそのような経験、
感覚がないに等しいので、実感としてピンと来ないのが
正直な気持ちです。

ところが、その解釈をもう少し拡大、補足していくと、

人間の世界と自然界との共存共栄をはかりながら、
何が起きようとも、すべてが調和の方向へと向かうよう
最善を尽くしつつ、想い、言葉、身体を通して、
素直にありのままの自分の在り方(生き方、生き様)を
表現していく、

よりわかりやすい表現をするならば、
それは心身ともに喜びに満たされながら、
人のため、地球のため、さらに宇宙全体のため、
『無償の奉仕を実践していく』
という言い方になるかと思います。

このような表現をすると、
スケールがあまりにも大きく、そして抽象的なために、
「それって具体的に何なの?」
と思われる方もいるかもしれません。

しかし、そのように思われたとしても、
適職、天職といった、それに当てはまるような
物の見方に従い、世間一般に当てはめて考えられる
職業や業種といった限られ物の見方とは、
明らかに異なっているように思います。

つまり、この時点(2022年7月)で無職で家事に専念している、
この私であっても家族をはじめ誰かのため、
事柄の大小といった人間の持つ基準とは関係なく、

私自身にとって必要不可欠な行動、
つまり『無償の奉仕』を目標に
行動しているということです。

極論を言うならば、
誰かのために何らかの行動をしている時点で、
もう既に「自分の価値」を表現している
ということになるわけです。

その根底、ベースにあるのは、
自分への、相手への、そして人類への、
最終的には“宇宙全体(神)への愛”であるように
思えるのです。

それは『無償の奉仕』と同じ『無条件の愛』という
言い方もできます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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