真の柔軟性とは愛が生み出す無限のモノ
前回のブログで人間関係を構築するにあたり、
相手(私の娘)の態度や心の状態を観ながら、
“微妙な距離感”を置く感じで調整をはかり、
私自身の在り方に柔軟性を持ちながら
対応するということを述べました。
今回はこの”柔軟性”について触れていきますが、
改めて”柔軟性”にはさまざまな側面の要素があると
気づくことができました。
前回で例えとして取り上げた、
「押してもダメなら引いてみな」も当てはまりますが、
状況次第で出てくる怒りや憤り、不満といった
感情や想念が出てきたとしても、”間”を置くようにして、
「抵抗しない」、「抗わない」というスタイルを崩さずに、
意識やエネルギーを向けない行為も該当するように思います。
また、それとは反対に距離感を近づけていき、
あえて寄り添うような行為をすることによって、
癒やしの方向へ向かい、自然と安堵感が生まれ、
“大丈夫、安心”という想いへと変化していく
可能性もあります。
ところで、この”柔軟性”の原点を丁寧に観ていくと、
人間の心の奥に必ず在る「愛」もしくは「神性」が
見出されていくという言い方もできるかと思います。
よりわかりやすく言うなら、
“思いやり”、”やさしさ”、”信頼”、
“慈しみ”、”調和”、”融和”、
などの表現になるかと思います。
ところが、私たちはその真実について
心の底の本音では誰でも実現したい、
という想いがあるにも関わらず、
個人的な事柄を含めさまざまな事情から、
“わからない、もしくはわかろうとしない”
というのが今の現実社会なのです。
つまり、それは“なかなか素直になれない”という
原因を生み出し、結果的に“不調和な状況”を創り出して、
ますます混迷を深めているわけです。
その混迷した状況からいち早く抜け出すためには、
それまでの自分の価値観や固定観念といったものを
少しずつ見直していく必要性があるというです。
見直すと言っても今まで持っていた価値観や固定観念を
否定したり、排除するのではなく、
“無限の考え方のひとつに過ぎない”と受け容れ、
一方で、自分と異なった他者の価値観や固定観念も
同等に扱い、それを一旦は受け容れるという
柔軟な選択を行い、また認識することによって、
全体のバランスが整っていくように思います。
このことがキッカケとなり、
先々で同じようなことが起きても、
まるで初めてのことのように真剣に受け留め、
それをさらに繰り返し実践していくことによって、
少しずつ時間をかけながら
視野が広くなっていくようになります。
そして、最終的には心の”柔軟性”へと結びついていき、
人間関係を含めた目の前で起きるあらゆる事象に対して
丁寧に意識して真摯に向き合うことによって
今までの状況とはいい意味で、
“異なる、もしくは一変する”という可能性は
十分にあるように思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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