苦情やクレームから気づいた学び

マンション管理員に限らず、
人間関係が避けられない職種では、
状況や内容の違いがあれども、

苦情やクレームという、ある種予想できない
頭の痛い事態に巻き込まれ、混乱に陥ってしまう
ことがあります。

私が今、勤務しているマンションでは、
複数の生活スタイル、個々の価値観、性格、
性質の異なる住民の方々が、限られた空間で
共に居住しているわけですから、

その物理的、心理的距離感の近さ故、
住民間のトラブルに端を発し、状況次第では、
さらに苦情やクレームへと発展するケースも
当然のごとく出てきます。

以前に勤務していたマンションでも、
さまざまな苦情やクレームが出たことで、
“心に重み、プレッシャー”を感じながらも、
都度、誠心誠意の対応をしていました。

しかし、現在の勤務しているマンションでも、
苦情やクレームは出てきていますが、
その内容とは関係なく以前と比べ、

今の方が明らかに、
“グレードアップ&ヘビー”なのです。

にも関わらず、そのことを受け留めた時点で、
私自身の心境はというと、どういうわけか、
“ライト&スルー”なのです。

よりわかりやすく言えば、

“事実を深刻に受け留めていない”

ということです。

自分の心、つまり波動を客観視し観察することで
自分でも何となくわかっていたことなのですが、

ある日、マンションの住民さんから、

「こんな(クレーム対応)するのは大変だね」

と声を掛けられた時、
矛盾に思われるかもしれませんが、
“違和感と同時に納得感”を感じていました。

当初は戸惑いもあり、不思議な感覚でしたが、
何度も自分自身の心に問い掛け続けた結果、
その真意がわかってきました。

つまり、それは過去に経験した、
苦情やクレームに対応した記憶以上に、
当時、結果としてその時に味わった、
“心の重み”が感じられなかったことで、

その“意外性、受け留め方の違い”
どういうわけかわかりませんが、
私にとって“違和感”として
感じられたわけです。

また、これまで培った霊的真理の探求を
ひたすら継続してきたことによって、
“心の成長”として自覚できたことが、
結果的に“納得感に至った”ように思います。

捉え所のない心の中で起きていて、
あくまで個人的な想念の動きを
自分自身の感覚だけで観察しているに
過ぎませんが・・・

ただ、ひとつ言えることがあるならば、
とても微妙で繊細な心境ですので、
余程、注意深く慎重に観察していかないと、

気づかずにうっかり見過ごしてしまうような、
わずかで精妙な感覚ということです。

また、“納得感に至った”ということは、
視点の角度を変えてみると、

自分自身への信頼となり、
過去から現在までのプロセス、
経験の積み重ねが実感として、
“確信へとつながった証”でもあります。

さらに、未来に起こり得るであろう、
“新たな課題”と向き合い、取り組んでいく、
活力、エネルギー、波動という言い方も
できるように思います。

最終的に行き着くところは、
すべての人間にとって、
置かれた環境や状況などは違えども、
この世に生まれてきた目的であり、

尚且つ自らの魂が設定したモノであり、
さらに、魂の成長にとって必然かつ不可欠な
事柄でもあり、心の芯から自覚できた時に、
ようやく人生の真の意味を識る入口となります。

そのことをインドの聖者アンマは、
とてもシンプルでわかりやすく短い表現で、
下記のように語っています。

『人生とは魂が目覚めるための希少な時間』

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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