「墓場まで持っていく」それ本気ですか?

最近、私の周囲に居る人の話を聞いていて、
胸がドキッとする言葉があり、
心にそれが引っかかったので、
それをシェアしたいと思います。

その言葉とは、
「墓場まで持っていく」
というものでした。

実はその言葉を耳にした時、
その話の内容より、口にした人の雰囲気が方が
気になりました。

言葉そのものから何とも言えぬ重みを
感じられたことから、

“覚悟”という受け留め方ができる一方、
結果的に“自業自縛”となっているようにも感じられ、
“固執”という受け留め方もできるように思えました。

ただ、個人的には、
「何でそこまで言う必要があり、こだわるのだろうか?」
という疑問が湧いてきました。

というのも、私がもし同じ立場、状況に遭遇したら、
「墓場まで持っていく」という発想にならない、
より正確に言うなら、言う必要性さえない、
と思っているからです。

人の心を傷つけないようにとか、
自分の保身ためとか、
真実を隠すことが最善策だと考えているとかなど、

人それぞれの考えや想いがあるので、
私なんかが言っても仕方ないのですが、

仮に「墓場まで持っていく」としても、
つまり、秘密を生涯隠し通せたところで、
本当の意味で、誰かの、または何かの役に立つようなことは
決してないように思いますし、

また、隠し通そうとする意識にエネルギーを注ぐこと自体が、
常に心のどこかで気にしながら生きていくことになり、
つい自分の心を責めたり、抑圧してしまう危険性も
はらんでいるように思います。

これは極論に思えるかもしれませんが、
人間の価値観を超えた、より大いなる視点に
立ったならば、

「もともと秘密なんて存在しない」

そんなことが言えるように思うのです。

こんなことを言うのも偏屈な私だからかも
しれませんが、
当初から秘密にしなければならないような行為をした結果、
そのような事態を招いたのであって、

あくまでも個人的な見解ではありますが、
もし、本来の自分の“良心に従った行為”を選択したならば、
状況は違っていたように思うのです。

その意味において、最初の時点での“動機”
とても重要になってきます。

「何のため、なぜそれをしたいのか、
 もしくはそうしなければならないのか」

すべては “動機”次第という見方もでき、
その後の結果が大きく違ってくる可能性がある、
ということが言えるかと思います。

よりわかりやすく言えば、
“動機”を事前に明確化することによって、
次の方向性が観えてくるということです。

この“動機”をしっかり心の中に根づかせることで、
「想い」「言葉」「行動」がつながり、
一体化していくような感覚になっていきます。

さらに後で振り返った時、
自ら検証や反省をする上でも必ず役立ち、
経験そのものに厚みが出てきます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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