「己を知る」には
「波乱万丈の人生」、「人生、山あり谷あり」、
という表現があるように、
変化に富んだ経験や人生の浮き沈みの変化は、
この世に生き続ける限り、常に在るといっても
過言ではないように思います。
また、人生を山登りに例える話では、
山の頂上を目指す登山ルートには、
スタートの裾野からさまざまなルートがあり、
どのルートを選び進んでいくかは、
登山する本人の意志決定で決まります。
いずれにせよ、人が最終目標に向かって
人生を歩んでいく足取り、プロセスを表現している
ように思います。
これはこの世で生きている間、
いろんな人生の局面でさまざまな判断を下して、
次の新たな段階へ進めていく、
“宿命”、”魂の設定”という言い方も
できるかと思います。
それはひとりとして同じ過程を辿ることはなく、
それぞれ違った過程を歩んでいき、
結果として異なる経験が心に刻まれて
いくことになります。
つまり、親兄弟、親戚という近しい間柄であろうと、
全幅の信頼が置ける善き友人や仲間であろうと、
人が人生を歩んでいく道は各々異なることを
承知の上?で、この世を生きていかなければ
ならないわけです。
“承知の上?“と表現したのは、
人によっては下記のような疑念を持っている
可能性があるからです。
より理解する上で、
“承知”を“要注意”に置き換えた方が、
わかりやすいかもしれません。
・外部の情報、特に人に頼っていないか?
・固定観念、先入観に囚われ頑固になっていないか?
・人との違い、分離感から優越感、劣等感、迷いを
持っていないか?
・物事を否定的な思考、感情に偏って判断していないか?
・「自分だけ良ければいい」という利己性を
追求していないか?
・他者との争うことで個人的な利益を追求していないか?
もし、これらのことを十分に留意しながら、
「人」「事」「物」と向き合った時に、
その現象面での「違い」、「異なり」に心で反応しつつ、
時間とともに気づき、
次にどのように受け容れ、どのような行動を取るにも、
人の数分の「違う」、「異なる」対応があり、
その場の状況を認めて受け容れるのが
最善の選択となります。
より端的な言い方をすれば、
人それぞれの人生において、
「決まったマニュアルはない」
そのような言い方もできます。

このように「人」「事」「物」で起こったことを
“限定された個の自分”という人間の視点の枠を超え、
“無限の大いなる自分”というすべてを見据えた境地に
至った時、“人は本来自由である”その本質的意義を
識ることとなるわけです。
同様に今回のタイトル「己を知る」の本来の意味は、
“限定された個の自分”ではなく、
“無限の大いなる自分”という魂の視点で観た
融通無碍の境地から、
何ものにも縛られず、“魂の声”に従って
素直にあるがまま行動へ移す、
それを凝縮した表現になります。
そして注意して頂きたいのは、
己を知ったら、そこで終わりではなく、
『魂の成長』の現在進行形として,
永遠に続けていくこととなります。
これは決して「理想論」や「絵に描いた餅」を
語っているのではなく、誰にでも実現可能な過程
であることを明言します。
私自身も霊能力とか特別な能力があるわけではなく、
ましてや“魂の声”というものを漏らさず聞いて、
行動している自信など全くありません。
しかし、私だけに限らず誰にでも別け隔てなく、
自分以外の他者の話を通して、
目の前の出来事や物を通して、
イメージやメッセージとして、
常に示され続けています。
それに気づいて一旦受け容れる、
もしくはひと呼吸置くことによって、
一瞬でも“垣間見ること”ができます。
どんなに小さく些細な事柄であろうと、
そのことに気づくか気づかないかによって、
後々の行動や判断が異なってくる可能性がある
ということです。
たったそのだけのことなのですが、
「塵も積もれば山となる」ということわざの通り、
人生の長いスパンで見たら、大きく変化することが
十分にあるように感じています。
インドの聖者アンマが語った言葉に、
“人間として 生まれる目的は、 神を識ること、
つまり、 真の自己を識ること”
という真理に基づく示唆深い言葉があります。
改めて「己を知る」の意味の深さに驚きと
感銘を受け、今後の私の役目、使命に役立てたい、
という想いとなりました。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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