「ことわざ」が指し示す真理

私自身に限らないと思いますけど、
“人間の記憶は時間とともに忘れる”
というのが普通?、当然?、自然?

そんな感じで、あまり重要視していない、
極端な言い方をすれば、気に留めていない、
無関心のように思います。

そんな状況であっても、
“座右の銘”という名目?、好み?、こだわり?、
いずれにせよ、個人の考えや価値観はあり、
それをとキッカケとして内観を深めていき、

せめて”自分の『魂の成長』へ繫がるのでは”
という期待にも似た感覚が少しでも
心の中で火を灯すように感じることで、

次のステップで、
“心に留めて置きたい言葉”
何とか取り容れたい想いが起こることも
ごく自然な流れかと思います。

より踏み込んだ表現をするならば、
それは「『本当の自分』を見つけたい」という、
核心的欲求から端を発し、“霊的真理探求の誘い”
という言い方もできるかと思います。

ところで、最近、仕事場でお会いする方との話から、
「一事が万事」という“ことわざ”をよく耳にする
機会がありました。

その場に居ない、ある人に対して事あるごとに
頻繁に使われ、“違和感”を感じていたのですが…

つまり、対象となる人物に対して、
比較、評価、批判、蔑視といった行為を象徴する、
マウンティングのような目的で使われていたのです。

「一事が万事」の辞書的な意味は下記の通りです。

わずか一つの物事から、他のすべてのことを推し量ることができる。
一つの小さな事柄の調子が他のすべての場合に現れる。

〈goo辞書より〉

この内容からすれば、人の行為に限ったことではない、
ということがわかります。
あらゆる事象にも適用でき、より広範囲に該当する
解釈となります。

先程の頻繁に使用される方の場合、
自分の描いた世界の中で限定された解釈に基づいて、
画一的に表現しているに過ぎないとも言え、

また、その限定された表現を一方的に好み、
固執している、縛られている、
自ら不自由にしている、主観的捉え方ですが、
そんな風にさえ感じられるのです。

さらに踏み込んでの個人的解釈として、
この「一事が万事」とスポーツのラグビーで表現される、
「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」とは意味が近く、
“本質的には同じ”という理解をしています。

ちなみに「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」の意味は、
「1人はみんなのために、みんなは1人のために」
という至ってシンプルな内容です。

ということは、
前出の”人に対して比較、評価、批判、蔑視として使う”
それとは全く異なる意味となり、使う場面も、
当然のことながら異なってくるわけです。

そして、この差異こそが“違和感”の正体だったことが
判明したわけです。

ところが、このことがキッカケ、後押しとなり、
霊的真理を探求していく中で、
私にとって最大とも言える“発見”へと至り、

「記憶の中にしっかりと留めたい」
という本質的とも言える欲求に近い想いが
より一層加速して強くなり、

短い言葉で古来から現在に至るまで語り継がれ、
“生きていく上で知恵が凝縮された表現”
とも言える、

「ことわざ」

それが真理を探求するに当たり、
指し示す表現が多々あることに
“気づいた”のです。

「人の振り見て我が振り直せ」
「急がば廻れ」
「覆水盆に帰らず」
「時は金なり」
「案ずるより産むが易し」
「言うは易く行うは難し」
「転んでもただでは起きぬ」
「再び起き上がること、
 それが転ぶことの価値である」
「困難だからこそ価値がある」
など、

それ以外にも“注意深く観ていく”と、
見つけることができます。

そして、最も肝心なのは、
心の中にしっかり留めることで、
日常生活の行動、行為に活かし、
“得られた経験を最大限感じ取ること”です。

冒頭の“人間の記憶は時間とともに忘れる”のが、
普通?、当然?、自然?というような
スタンスのまま、何も行為、行動しないことで、

“残りの地上人生をそのまま終えて、
本当にそれでいいのでしょうか?”

その答えは、必ず、心の奥(魂)に在ります。
わからなければ、自分の内側に向かって、
何度も何度も繰り返し、聴き尋ねることによって、
いつか必ず見つけることができると思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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