人が本当に探しているモノとは

これまで著書黎明に掲載されていた詩の3つうち
2つを取り上げました。

実は最近、投稿したすべてブログをチェックする
機会があり、大変お恥ずかしいことなのですが、
既に2つの詩については取り上げていました。

言い訳と思われるも仕方のないことですが、
私の記憶から完全に忘れていたとともに、
時間の経過とともに同じ詩でありながら、
私自身の捉え方が変化したのか、

これまでと異なる新たな気持ちで、
2つの詩を取り上げたように思います。

そして、今回のブログで取り上げる詩は
今日に至っても個人的な印象として、
一番わかりにくいというか、
取っつきにくいと思っています。

おそらく独特とも言える、
著者葦原瑞穂氏の哲学的表現の難しさに
追いついていないところがあるからだ、
と思っています。

私の探しているものですか

それは形の有るものではありません

形の有るものは それの本来の姿ではないのだから

それは名前の有るものでもありません

名前の有るものは 本当は そこにないのだから

真理と愛と叡智と

これらの言葉が 世の初めに発した響き

これらの言葉の 内に携えている光

これらの言葉の 源に在る力

限りなく美しく この上なく崇高な海のように

激しい嵐の中にも

荒れ狂う高波の下にも

静かにそれは拡がっていて

宇宙の一切を包み込んでいるのに

ひとつの原子の中にも その総てが在るもの

久遠の昔 そこから私はやって来て

永遠の時を掛けて 私はそこへ還って往く

それが 私の求めているものです

(新版 黎明 葦原瑞穂著 太陽出版 下巻 p332~333)

この中にかかれている、
最初の行の“私の探しているもの”と、
最後の行”私の求めているもの”とが同じもの
というのはわかると思いますが、

ただし、“対象となるものが何であるか“については、
具体的にこの詩の中では触れられていません。

私の経験から言えるのは、
本編を読み込んで内容を理解していかないと、
“対象となるものが何であるか”
なかなかたどり着かないように思います。

言い方を換えるなら、
“それだけ貴重な価値がある”
ということも言えるかと思います。

「貴重な価値」それはお金や物というこの世の
“物質的な価値”とは明らかに異なる、
“不変”、”無限”、”永遠”といった限定された人間の
思考の領域を超越したモノとなります。

そして、それこそが私たちがこの世界に生まれ、
見つけようと長い間求め探し続けてきた、

“本当に探しているモノ”
つまり、魂の望み』でもあります。

ただ、この真実についてほとんどの人たちが、
“無知”、”無明”、つまり、知らない、気づいていない
だけのことなのです。

その真実を解き明かしていくためのヒントや手掛かり
となるのが黎明の中の至る所に書かれているのです。

それ故に黎明という本は“単なる本ではない”と感じています。
人間として生まれた目的、その真実を識るための
『人生の指南書』とさえ思えるのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら
今後の励みになります。

どうぞよろしくお願い致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください