『本当の幸せ』とは何か

今年頂いた年賀状を整理している中で、
一枚の年賀状のある文面が気になっていて、
机の上に置いたままになっていました。

「願い事が叶いませんでした。
 気持ち新たにまた頑張ります。」

このような年賀状にありがちな
短い文でした。

その差出人の方とは面識があり、
家庭事情については私なりに理解していて、
いたたまれない想いが募る一方、
なぜか“釈然としない気持ち”となりました。

その“釈然としない気持ち”は、
自分でも意外な方向へと
展開していきました。

それは150年以上も前、
アメリカの南北戦争の時代に
ある兵士が書いたと言われ、
英語から日本語に翻訳された、

「無名兵士の言葉」という詩を
突然思い出したことが始まりでした。

その詩とは下記に掲載した内容で、
今一度読み返したことによって、
ようやく腑に落とすことができました。

大きなことを成し遂げるために
強さを求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった

偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことをするようにと
病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
けんめいであるようにと
貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようと
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

人生を楽しむためらに
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために
人生を賜った

求めたものは一つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
私は もっとも豊かに祝福された

作者不詳

読み終わって私が最初に思ったことは、
もし差出人の方がこの詩の作者のような想いに
なっていたなら、冒頭に書いた、

「願い事が叶いませんでした。
 気持ち新たにまた頑張ります。」

という言葉はおそらく出てこなかったように
思えたことです。

確かに私たちの心の作用として、
現実世界で起きていることにどうしても巻き込まれ、
囚われてしまうことで、心が乱れてあがき苦しむ
傾向になりがちです。

その結果、自分でも気づかないうちに、
ますます否定的な想念の状態から抜け出せなくなったり、
もしくは抜け出すのに多くの時間と労力を費やしたり、
というような事態に陥る可能性も出てきます。

また一方では、この詩のような悟りとも言える境地に
達することは“かなり難しい”、”自分にはできない”と、
どうしても私たちは心の中で思ってしまいがちです。

“かなり難しい”、”自分にはできない”と思えてしまうのは、
この詩の作者は“かなり特別だ”と考えたり、
“とても幸運だ”と思ったりというように
いわゆる“特別視”してしまうことで、

“自分とは違う”、”人間離れした”存在と、
まるで神様のようなある種の固定的な受け留め方
してしまっているからではないでしょうか。

しかし、それはよくある人間の単なる
思い込みや勘違い、考え方の相違に過ぎず、
いわば人間的な視点、つまりエゴには囚われず、

本気で終着点の『本当の幸せ』にたどり着きたい、
そう思うのであれば、それに向かっていくルート、
要するペースは人それぞれ異なるのは当然で、

たとえその道程がどれ程険しく遠かろうと、
残りの人生を費やしてでも求めていく価値は、
十分にあると思います。

いや逆にそれが本来、私たちがたどるべき道程
なのかもしれません。

最後にこの詩の本質と言えることは、

「起きていることは正しい」

「問題はどこにもない」

「自然(カルマ)の法則通りのことが起きている」

ということにあります。

それは決して頭での理解、理屈、理論といった、
概念で収まることではありません。

人生で味わった数々の経験をまさに身体の中に
擦り込むような感じで、自分のものとして
血肉化していくような感覚が不可欠となります。

真に本質を理解するとは、
そのような感覚を丁寧に観察しながら、
鋭敏にしていくことだと思っています。

そのために重要となるツール自となってくるのが、
いついかなる時でも自分の心や身体の状態に

『気づく』

これが“絶対条件“となってきます。

要は意識して自分の心や身体の状態に
気づけるかどうかということです。

この地道で忍耐が必要なプロセスを経てようやく、
『本当の幸せ』へと少しずつ近づいていく、
大いなる自然の流れがあるように思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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どうぞよろしくお願い致します。

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