浄化とお祓いの違い

これは私の個人的な見方、考えと思うのてすが、
男性に比べると女性の方が信心深いのか、
恐怖や危機感といったことに敏感で、
それを早く解消したいのか、

例えば、“お祓い”といった行為も、
“自分の外側”の手段を選択し行動を起こす、
もしくは考えに及ぶケースが多いようにみえます。

どうしてこのような話を切り出したかと言いますと、
元となったのは家族の会話から出できた
ある事柄からでした。

「最近、仕事上の困難な出来事が 立て続けに起こる」

「突然、車が故障してその対応にとても苦心した」

という今までになかった、

“厄介、大変と思われる事象”に対して、
対峙した時の心身の状態によっては、
どうしても憂うつな気分から抜け出せないまま、
状況によって八方塞がりとなる可能性もあります。

私たちはこのような状況となった時、
“運が悪い、ついていない、アンラッキー”などように、
つい“否定的な受け留め方”をしてしまい、
その原因が“自分の外側”にあるように
考えてしまいがちです。

事態が改善もしくは解消されない場合、
さらに”お祓い”という“自分の外側”に、
救いを求める傾向が強くなるわけです。

ところが、このように重なる形で、
“自分の外側”に依存することや
“何を信じていいのかわからない”といった、
自分自身に対する信頼の欠如によって、

図らずも“因果の法則(カルマの法則)”に加えて、
“自ら事象を引き寄せている(エネルギーの法則)”
という見方もできるわけです。

よくよく考えてみたら、虚しく感じられ、
決して避けることができないのも事実ですが、
“自我意識の罠(エゴ・トラップ)”にハマり、
真実を見失ってしまい、勘違い 思い違いにも
全くと言っていい程、気がついていないのです。

では、今回の“お祓い”という行為について、

“真実を見失わない、
正しい事象との向き合い方”
とは、
どのような向き合い方のことを
言うのでしょうか。

“真の原因は自分の外側ではなく内側に在る”

このフレーズに尽きるように思います。

私たちの身体の感覚機能である五官(感)は、
その機能上、身体の外側に注意や意識が
向けられる傾向にあり、その対象(出来事)に
原因の有無を判断しようとする習性があります。

今回の場合についても経験したことのない、
“自分の外側”の出来事を見て、“困難、嫌な感じ”
と想って“反応していた”に過ぎません。

本来なら、もし、“お祓い”を受けたとしても、
それを、“一つの参考程度に一旦収めておく”
ということをより意識して実践することで、
それまでと異なった視点で物事を観れる余裕、
可能性が出てきます。

一方、当初から“お祓い”とは180度異なる概念が、
“浄化”という考え方です。

“浄化”とは字のごとく、
“キレイになる”という意味で、
例えば、今回のような冒頭に記したような、
“厄介、大変と思われる事象”と対峙した時、

この事象と見たことで感情が反応しても、
一瞬、ひと呼吸でもいいので“間を置くこと”で、

“お陰で厄落としができた”、”この程度で済んだ”、
“心の掃除ができてキレイになった”

というように“肯定的な受け留め方”をする、

それが本来の“浄化”の意味で、
つまり、“心の浄化”につながっていく
ことになります。

つまり、同じ事象と出くわすにしても、

“否定的な受け留め方”をするか、

“肯定的な受け留め方”をするか、

自分の心がどちらかを選択するかによって、
その後の心理状態が違ってくるわけです。

同時にそれは心の状態に気づくチャンスでもあり、
それが忍耐強く継続されることによって、
“意識の変容”へとつながっていきます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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