自分のクセを識り、活かす方法
「なくて七癖」ということわざがありますが、
どんな人でも癖(クセ)を持っているという意味です。
そもそもクセとは嫌なもの、邪魔なものなのでしょうか?
そんなのようにどちらかというと否定的な見方をしがちな風潮が、
個人的にあるいは社会的にあるように思えます。
人によってさまざまな考えがあるので一概には言えませんが、
大雑把に言えば、クセを直したいということを含め否定的に思う人と
そうでない(気にならない)人とに分けることができるかと思います。
そして、クセを否定的に思おうと、そうでなかろうと、
どちらかが善いとか悪いとかということなく、
つまり、不公平、条件づけは一切ないという前提で
話を進めていきたいと思います。
私の経験上言えることは他者から指摘を受けて、
一時的に嫌な想いをしたとしても、
自分のクセに少しでも気づけたらラッキーだと思います。
しかし、自分でも気づかず他者から指摘を受けたこともない、
そこから気づけるというのは、先程の他者から指摘を受けるより、
上級の部類になると思います。
いずれのケースにしても「気づき」ということが
重要なポイントとなってきます。
そして、この「気づき」ということがあって初めて、
クセを活かすというヒントが見い出せるのです。
より詳しく言えば、自分のクセの本質に目覚める、
つまり、本当の意味で“腑に落とす”、“芯を識る”、
そのように深く理解をすることで、自ずと活かし方が
必然的に観えてるということです。
![](https://hikariari.com/wp1/wp-content/uploads/2020/12/CIMG1034-300x225.jpg)
クセとは視点を換えていけば、
『個性(オリジナリティ)の宝庫』
と言っても過言ではありません。
ただし、このような言葉の概念をどんなに連ねていっても
ゴールという領域に至ることはできません。
読者の皆様がそれぞれの経験を通してでなければ、
それを得ることはできません。
愛想のない言い方になりますが、
「何のためにクセがあるのか?」
「クセにどんな意味があるのか?」
「クセから何を学べるのか?」
その答えを他者に尋ねたり、インターネットの検索や
本の内容から引っ張り、鵜呑みにするという安易な方法ではなく、
“自問自答”するような感じで、
または“自調自考”という行為をすることで、
結果として“見出された答え”が、必ず大きな自信へと
つながっていきます。
このようなことから、クセは人の性格や性質の一部であり、
悪者や足かせという“厄介者”として捉えるのではなく、
むしろ、自らの視点を切り換えることによって、
自分だけしかない“特徴、個性”という活かし方によって
時間がかかったとしても確実に、目の出来事、人間関係が
大きく変化して観えてくるようになると思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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