極限状態からの学び 4/4

3/4からの続き

ここは先日、NPO法人の担当者から紹介してもらった
大阪府内のH精神科医院の待合室です。

この日は診察が混み合ってたようで、初診に伴う
問診票を書いてから、1時間程待って、
診察室に入りました。

H先生は、私よりかなり年齢は上なのに、エネルギッシュで、
パワフルで、そして眼鏡の奥の両目からは威厳とともに優しさを
感じさせる方でした。

そして、私が、最近のY社での仕事の状況、
家庭での生活状況、今の身体の状態を一通り説明したところ、

H先生は、

「あんた、伸びきったパンツのゴムと同じやな。」

と言われました。

「でも、やらなければならない仕事が私にはあるんですけど」

と私が言いかけたら、

「あんた、大バカ者だー!」と急に声を荒げ続けて
「あんたは、うつ病なんやから、このままなら死ぬぞ!」
「診断書を書くから、明日からしばらく会社は休んだ方がいい!」
と怒鳴りながらも、優しさがにじみ出るような感じで話されました。

帰り際、最後に
「次の診察は、奥さんと一緒に必ず来なさい。」
と言われて診察室を後にしました。

そのまま帰宅して妻に今後のことを相談しましたが、
最終的には『自分で決断するしか道はありませんでした。』

次の日の朝、足はY社大阪事務所に向きかけましたが、
途中であきらめ、このブログの初回の時に書いた、

JR大阪駅に隣接するホテルの前で、ついに決心し
仕事用のガラケーを握りしめ、何度も深呼吸しながら、
極度の緊張をほぐし、東京で勤務している上司のM部長に
電話をかけたのです。

「もしもし、M部長ですか。昨日、医者から、
『あんたは、うつ病なんやから、このままなら死ぬぞ!』
と言われました。すいませんが、明日から会社休みます。」
との突然の”休職宣言”をしました。

少し横道に反れますが、H精神科医院の治療は今も続いており、
10年の月日が経ちました。

実はH先生に対して“1度だけ不信感”を持った出来事がありました。

確かY社を休職して、その期間が切れる直前だったと思います。
Y社の人事部長が直接、H精神科医院に来られ、
H先生に私の治療について尋ねに来たことがありました。

後日私が通院した時、H先生はY社の人事部長と話された時、
Y社に対して好印象を持ったようで、

H先生は私に

「Y社は、いい会社じゃないか、なんであんないい会社を
辞めようとしているんだ。」

と言われたことがありました。

私はその話を聞いた途端、

「私がどれだけY社にひどいめに会い、
苦しめらたことをご存知じゃないですか!」

と心の中で叫び、H先生が信じられなくなりました。

しかし、この10年の月日が私を変えてくれたのでしょうか?

今、この時の事を思い出すと、あの時、H先生が言った事は
“正しいと思える自分”に気づきました。

つまり、10年前の私は、自分の立ち位置を見失い、
否定的な感情に流されるままでいたので、
H先生は私の味方だと信じていたのに・・・・・・

実は、この語尾につく“~のに”がやっかいモノでして、
自分に対する言い訳、条件付けであり、

「相手の方は自分の味方でよく思ってくれているハズだ」

という固定された自分の価値観で決めつけている言葉だと、
最近になって、ようやく気がつきました。

もっと客観的に広い視野で観たら、H先生の考え方、価値観は、
「十人十色」と言われるように、私とは異なるわけですから、
“H先生が言われたことも正しい”という
受け留め方もできたということです。

より究極的な言い方をするならば、

『正しいかどうかもわからない、判断できない』

という見解が正確な表現だと思います。

その時の状況、精神状態にもよりますが、
「わからない」という保留の選択肢をすることで、
時が過ぎ、後になって「わかる」ことも許容できたら、
心にゆとりができるように思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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