心の成長に必要な条件とは?・前半
知識は学校だけで学ぶためのものではなく、学校を卒業して
社会生活や仕事を行なう上で必須のものなります。
確かに知識は絶対に必要ですが、学べば学ぶほど、
その情報量は多岐にわたり、しかも膨大な量となります。
知識偏重の時代と言われて久しいですが、
知識豊富な人に対する評価が高い傾向も相変わらずだと
思います。
しかし、知識豊富だからと言って、
心も豊かだ、つまり成長しているとは限りません。
むしろ、豊富さゆえに独自の価値観をつくってしまい、
強固な固定観念で理論武装している、
そんな可能性も十分にあります。
また、「〇〇をしなければならない」、「〇〇せずにはおれない」
「〇〇しないと気がすまない」といった、
自他を追い詰めてしまう”強迫観念”も同類となります。
つまり、経験や行動よりもまず理論、理屈を常に優先する、
いわゆる「頭でっかち」ということです。
恥ずかしながら、知識豊富なタイプではありませんが、
私も数年前まで、この「頭でっかち」の状態でした。
この「頭でっかち」の特徴として、
物事を常に頭で判断しようとしますから、
いいアイデアや考えが浮かばず、つまずいてしまうと、
焦ってしまい、落ち込んだり、悩んだり、
迷ったり、苦しんだりします。
そして、最終的には、ストレスやプレッシャーの影響を受けて、
ガンや内蔵疾患などの肉体の病気、
うつ病やパニック障害、発達障害といった心の病気を
引き起こす要因となる可能性があります。
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実は、私たちにとって本当に必要なのは、
知識を頭に詰め込むことではなく、知識を活かすための
行動や経験を通して得られる「智慧」なのです。
その積み重ねが「心の成長」へとつながっていきます。
インドの聖者、アンマはかつて「心の成長」について、
こんなメッセージを発信しています。
私たちの肉体は成長しても、私たちの心は成長しません。
心の成長とは、子供のようになることです。
子供のようになるには、初心を忘れずにいることを
学ばなくてはなりません。
もし私たちが自分で何でも知っていると考えていれば、
何一つ学ぶことはできないでしょう。
器が満たされていたら、そこに何を注げるでしょう?
バケツが井戸の下に下ろされていって初めて、
そこに水が入るのです。
[マートルヴァーニー日本語版 2017年6月号 P8.L5~10]
このメッセージ読んで最初に頭に浮かんだのは、
「初心忘るべからず」
この言葉でした。
そして、こんな過去の自分を振り返り、
いろんな言い訳を言ったり、
グズグスと迷ったり、躊躇したり、
いたずらに時間だけがに過ぎてしまい、
「わかっちゃいるけど、できない」、
「できないままでいたら、いつまで経ってもできない」、
でも、どこかの時点でそんな自分にケジメをつけ、
誰にでもできる簡単で小さなことでいいから、
1歩を踏み出す、もしそれが無理ならば、
わずか半歩だけの動きでもいいから、
“すぐにやり始めた方”が今よりもきっと気分がよくなる、
そんな想いが出てきました。
頭でいちいち考えたりせず、
この“すぐにやり始める”ができるかどうかが、
分かれ道になると思います。
ついつい忘れがちな言葉ですが、
文中のキーワード『子供のようになる』とともに
「心の成長」のために胸にしっかりと刻んで置きたい、
そのように思っています。
追記として余談になりますが、
もう50年以上前の記憶です。
私が通学していた小学校の入口付近に額縁に収められ、
毛筆で次のように書かれた標語が掲げられていました。
「今やらねばタレがやる、
ワシがやらねばタレがやる」
㊟タレとはダレ(誰)、ワシとは私つまり自分のこと
言い回しからしてかなり古い言葉遣いですが、
毎日のようにその前を通っていたので、
50年以上経っても記憶として頭に焼きついているようです。
「今も昔も、行動を起こすことの重要性は全く変わらない」、
そのように感じ入りました。