恐怖は本当に存在する?

潜在意識の中に隠れていた”恐怖心”が何かのキッカケで
思いもよらぬ展開で表出することがあります。

ある日、私が勤務しているマンションで、
ある住民の方に仕事上のことである状況を
説明しなければならないことがありました。

それは住民の方にとって最初は不満として受け留められ、
次に反発とともに”過去の嫌な出来事”がフックとなり、
最終的には”不安と恐怖”の感情が出てきました。

この事例は、この住民の方に限らず、
事象の内容が異なるだけで同じような性質を、
私たちは少なからず持っているように思います。

つまり、過去の出来事とともに、その時の反応した恐怖などの感情を
“記憶”することで、いつの間にか潜在意識の中に取り込んでしまい、
時が経過しても、何かのキッカケでそれを瞬時に思い出して
同じような経験をするのではないかと思い込んでしまう、
ということです。

これは1つ出来事だけではなく、経験してきたその他の出来事にも
同様に多かれ少なかれ”記憶”が頭の中に残っています。

この”記憶”、家事や仕事の日常生活をしていく上で、
過去の経験をもとに必要な情報や知識として活用していく面では、
とても役に立つ有効な手段と成り得るのですが、

一方で、その出来事に遭遇した時、見たり、聞いたり、
触れたりというように、心身が反応して感情が出た時に、
その”記憶”がインプットされてしまう場合があります。

この時点から、先入観や固定観念といった独自の考えや枠組みも
加わり形成されていき、同じような経験や想いと遭遇した場合、
どんどん認識が強固なものとなっていきます。

私もパニック障害の経験から、それに至るプロセスと苦しさを
何度も身を持って思い知らされ辛い想いを引きずりました。

先述のマンションの住民の方の場合、恐怖感が出てきたとはいえ、
まだマシな方だと思います。
というか、その状態にさえ気づいていない人たちが
ほとんどのように思います。

状況の受け留め方によってはもっと症状が重くなり、
メンタルブロックやトラウマという医師の診断が出る
場合もあります。

心が動揺していたり、自分を見失った状態のままでは、
心を冷静に保ち客観視することなど絶対にできません。

しかし、どんなに時間がかり大変だと思う状況であっても、
一度落ち着いて冷静に自分の心を振り返って観察していくと、
わかってくることがあります。

強烈な不安と恐怖に襲われたとしても、
すべては心の中で起こった出来事に過ぎず、
“それ自体は何も実態がない”ということに気づく時が
いつか必ず来ます。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがあるように、
どこにでもある枯れ尾花でさえも、
普段と違った不安定で余裕のない精神状態で
深夜の月明かりで障子に映し出されたのを見ると、
その時の状況によっては正確に見極めることができず、
幽霊だと信じ込んで大混乱に陥ってしまい、
後になって冷静になった時に障子を開けて見たら、
その正体はただの枯れ尾花であったとわかるというものです。

まさに、それと同じような展開ということです。

つまり、結論を言えば人生に起きるどんな状況であっても、
不安と恐怖には何も実態はなく、過去の”記憶”によってつくられた
“ただの幻想に過ぎない”
ということです。

そのことが腑に落とすようにわかるための唯一の手段が、
“自分の心の状態に注意深く気づき続けること”になります。

最終的には、不安や恐怖が出てきた状況に対して、
繰り返し何度も何度も気づいていくことで、
時間を要しますが、次の対応の精度が向上していき、
徐々に冷静に落ち着いた状態になる間隔が狭まっていきます。

つまり、不安や恐怖の感情が出てきても、
立ち直るスピードが早まっていくことで、
本来の自分がやるべき役割の仕事や家事に
集中して専念できるようになっていきます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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