究極の生前整理

私も還暦に近い年齢になりました。

この年齢になってくると、断捨離を含め、
「生前整理」「終活」ということを意識するようになります。

実際に断捨離をやってみたらわかると思いますけど、
「物」に対する執着を問われる繰り返しとなります。

今は使用していない物であっても、
また使用する機会があるかもしれないとか、
思い入れがある物だから捨てたくないとか、

判断を鈍らせる迷い、甘えなどがどうしても
出てきてしまいがちです。

しかし、よくよく冷静に考えてみると、
「物」を残してこの世を去ってしまうと、
それを整理する残された家族に迷惑をかけます。

そして、あの世に持っていける「物」(お金を含めて)は
何一つないと割り切ってしまえば、
もっと「生前整理」が進むはずなのですが…

末期がんなどのように重病を患い、余命宣告されない限り、
本気で「生前整理」を始めようとはしないと思います。

私たち人間の心は、もともと怠惰な傾向がありますので、
強制的に時間の期限を設けられないと、
つまり、お尻に火が着かないと本気になりません。

執着は何も「物」だけに限りません。
「生き続けたい」という「生」も本能であるとともに執着です。

ただし、私たちは「生」と言っても、
ほとんどが「肉体」への執着です。

つまり、「生」=「肉体」というのが、
当然のごとく解釈されているわけです。

しかし、おわかりだと思いますが、
「肉体」とて「物」と同じで、さらに「生物」ですから、
いつかは「死」を迎え、朽ち果てるものです。
もちろん、あの世には持っていけません。

どうしても、死期が近づくにつれ、
死への決意とか覚悟といったものが試されます。
それは“執着の放棄”ができるかどうかにかかってきます。

この“執着の放棄”は、よく勘違いされるのですが、
死期を悟っての“あきらめ”とは異なります。
それは亡くなるご本人しかわからないことですが、
“執着の放棄”は、何に執着を持っていたという
“自覚”がない限り、放棄へのプロセスをたどることはできません。

つまり、「生前整理」を本気で実行に移すのであれば、
元気でいるうちに“執着の放棄”を手掛けていき、
遅くとも死期を悟った時には、“完全なる自覚”が必要です。

この“完全なる自覚”とは、死後に「肉体」がなくなったとしても、
生命の本質である「魂」、つまり“意識”はなくならず、
永遠に生き続けるということを認識できたことなのです。

この一連の流れを誰でも理解できるようにサポートできる、
それが霊的真理、すなわちスピリチュアルの学びなのです。

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