理不尽な状況の奥に在る真実を観る・3/3

2/3からの続き

N社を退職するに至った要因は、給与の遅配でした。
前述のように、会社は資金繰りの悪化で自転車操業が慢性化していました。
ついに、社員の給与の遅配という状況に陥りました。

悩みに悩んだ末、私は退職を決断することになりました。

改めて想うのですが、N社、そして取引先であり、
スピリチュアル分野で関わったV社、Oグループの関係者の方からは、
2度と経験することのできない貴重な学びができた事に心から感謝しています。

また、N社から”勉強会”という販売促進ツールを取得できたことは
私にとっての大きな収穫でした。
今風に言えば、”プレゼン”です。

それまで、私は人前で商品の説明をキチンと丁寧にする、
という営業スタイルはなかったので、このツールを身につけたことによって、
オリジナルの表現をする重要性を自覚するのに役立ったと思います

N社の販売商品のカテゴリーは、大きく分けて2つあり、
1つが人間用で、もう1つが植物用でした。

人間用は販売シェア、マーケット共に大きく、またツールも揃っていたの比べ、
植物用のターゲットは農家の方が中心でしたので、
最低限として農業に関する知識が必要とされ、加えて地域の特殊性がありました。

生まれも育ちも東京出身で、ほとんど土に触れたことのない環境にいた私が、
農業に携わる人、それも篤農家と言われる、農業に精通したプロの方々と
関わるに当たり、無謀とも思えるド素人からのスタートでした。

怖いもの知らずというか、無知の極みと言ったらいいのか、
何度も何度も現地へ足を運ぶことで、私の熱意が伝わったのか、
相手の方の深いご理解と寛容な心遣いもあったお陰で
コミュニケーションが徐々にできていきました。

これは、以前、自然の中で勤務していたT社時代とは違った、
自然の別の側面した経験を味わえた事は、とてもありがたく、
また喜びに感じていました。

しかし一方で、スピリチュアルとの関わりが深まるほど、
私より優れた能力や知識を持っている人へ憧れと依存性を示しながらも、
私が見下して蔑んだ見方をした人には、 傲慢さが出て、
虚勢を張って自分の存在感を示そうとしていました。

その結果行き着くところが、自分を省みず、責めたり、混乱、
迷妄を繰り返すパターンにハマっていました。

私自身、わかっているつもりでいただけで、
実はわかっていなかったから、どうにもならないと諦め、
結局、本気でやめようともしなかったとも言えます。

そこから早く抜け出そうと、もがき苦しみ続けても
“心の声”を聴こうとはしなかった。

さらに聴く術を知らないと思い込み、
それを常に求めて続けていましたが、
結局見つける事ができませんでした。

だから、この後の十数年間、スピリチュアルとの関わりを
自ら封印し、現実社会の中にどっぷり浸かり、
自力で、自分らしさ、つまり、本当の自分を
見つけようと決心したように思います。

N社での最後の日を今でも鮮烈に覚えております。
私が退職の意思を上司のA支店長に伝えた時、
「会社に残るも地獄、去るも地獄」
と話されたことを・・・・・・

その時、この言葉の意味を表面的に受け留めていましたが、
N社を退職してから5年近くの間で、奇しくも本当の意味を
身をもって知ることになりました。

最後に、OグループのK先生から教えてい頂いた、
貴重な情報を思い出しました。

エネルギーを次元数で計測したデータのお話で、
「ありがとう」「愛」のエネルギーは
病気のガンのエネルギーより勝っている、
という言われていた事です。

ガンからの奇跡と思えるような回復は、
そのようなエネルギーの転換が背景にある、
そんなお話だったように記憶しています。

私は、その当時「へぇ~、そうなの?」と言う感じで
あまりピンとこなかったのですが、
ところが、数年前に、この楽曲を聴いた時、
思わず涙が流れ、ようやく腑に落ちた感じになりました。

それまでの私は「ありがとう」「愛」 について
文字情報のごく浅い表面的な解釈を
自分なりにしていたように思います。
それらの言葉が持つ本来の深い意味にようやく触れることができた、
そんな感覚をほんの一瞬だけ味わったように思います。

それはこれまでの人生では味わったことのない、
とても貴重な経験でした。
“魂をゆさぶる”、そんな強烈な感動とインパクトがあり、
しばらく間、言葉を失い、放心状態になりました。

ご存知の方もいるかもしれませんが、
下にYouTubeで貼りつけました。
ご覧になられ、何か感じられたら嬉しいです。

「ありがとう」「愛」「光」「今」「調和」「平安」「平和」「宇宙」
「神」「全体」「空」「無」「永遠」「叡知」「無限」「完全」「完璧」
「絶対」「ひとつ」「一元」「真我」「神我」「真理」、

“自己探求”、すなわち自分の心の中を観察する、
よりわかりやすく言えば、自分の心の状態が混乱していようと、
静寂で落ち着いた状態であろうと、

頭で考えるのではなく、心が感じるままに、
注意深く丁寧に、そして客観的に観察することを心がけます。
そして、粘り強く決して無理せずに少しずつ習慣化していくことで、
“目には見えない筋力”が徐々についていきます。

それは、心身に善い影響として作用していきます。
前出の並べた言葉の概念を超えた、その奥にある本質的な意味は共通している、
ただ言葉の読み方が違うだけで本来の元にある根源は同じであるという、
“潜在意識から出てくる感覚”が次第にわかってきます。

そのわかってくること自体が既に“実践の証”でもあるのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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どうぞよろしくお願い致します。

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