社会復帰へ踏みだした一歩 3/3

2/3からの続き

K大学付属病院の治験を中止してから、何か吹っ切れて、
“心のギア・チェンジ”ができたように思います。
自分のペースで再就職に向けて、新たな一歩を踏み出しました。

精神障害者手帳の取得ができたので、
地元のハローワークの障害者窓口や
就労支援センターなどに出向き、
情報収集を始めました。

少しずつ足元を固めながら、就職説明会や面接会にも参加しました。
ただ、身体障害者の方がどうしても優先がちになり、
なかなか就職先が決まりませんでした。

この時、自分が精神障害者だろうが、
他人を頼りにしていたら、前に進んでいかない、
自分の力で切り開いていくしかない、と腹を決め、
方針を転換しました。

これまで、就職先を障害者枠で求人募集している会社に
限定してきました。そこで私にとって賭けでしたが、
思い切って一般の求人募集している会社まで広げてみる事にしました。

マンション管理員募集の会社に応募し、採用に至り、
翌月の4月に研修を受け、5月から勤務となりました。

H精神科医院のH先生に通院時にご報告したところ、
「パートで日勤の時間が短いので、
まあ、リハビリのつもりでやってみたらいい。」
と言われ、心底ホッとしました。

正直言って、ブランクが2年半近くあったため、
この時の私は不安でいっぱいでした。

しかし、“ここで逃げたら人生終わりだ、後はない”
という気構えで覚悟を決めたように思います。

ここまで、いくつかのハードルを乗り越えてきました。
しかし、そのハードルは、今から思うと、必要だったと
考えた方が合点がいきます。

マンション管理員なんて、言ってみたら、
世間的評価はメチャ低いし、人から見下され、
さげすまされてもおかしくない仕事です。
時給も最低時給額です。

私にとっては、そんなのはどうでも良かった事です。
ようやく私のすべてをフルに活かせる仕事に、
巡り合えたのですから。

傷病手当と失業保険の手当を受給された、
2年半の期間は、この当時は心を立て直すための
充電期間と捉えていましたが、

最近になって気づいたことなのですが、

“既にお膳立てされていた準備期間”

そのように思うことで、この期間の前後に経験したことと
辻つまが合うことが明らかになりました。

つまり、この期間は“最初から設定されていた”
そのような感覚だったということです。

さらに「私にとって必要だった試練だったのでは?」と捉えてみると、
節目となった出来事のプロセスを通して学んだこと、
それを一つ一つ噛みしめ自分に言い聞かせるように
腑に落とせたことによって、次のステップへ進むことが
できたように思うのです。

“心のギア・チェンジ”

これを心の中で納得することを受け、
さらに時間をかけず行動へと移すことで、
これまでの流れとは変わっていったように思います。

“ここで逃げたら人生終わりだ、後はない”

そう覚悟できたのは、
「自分に対する信頼が確信の段階に至ったから」
そのように言えるか思います。

勤務先のマンションは、新築だったため、
私にとっても、新たなるスタートとなりました。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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