過去に本質を見極めるためのヒントが在る 1/4

あなたは今までの人生で、自分の命が危険だと感じたり、
本当に怖かった状況に遭遇した事はありませんか?

私の場合、これまでに記憶の範囲では2度ありました。

1度目は、小学校3年生、9才の時でした。

何がキッカケかは忘れましたが、私は同じクラスの
男の子のグループからイジメを受け始めました。

友達の男の子のズボンのポケットの中に、
「火の着いたマッチを入れろ」と脅されたりして、
行動がドンドン、エスカレートして行きました。

後日、私は耐えられなくなり拒否した時、
グループのリーダーの子から、
「校舎の屋上から飛び降りろ」と言われました。

私はグループに囲まれて校舎4階の屋上まで連行され、
逃げられないまま屋上の柵を超えました。
足元の十数メートルの下を見た途端、足がすくみました。

グループから執拗にヤジが飛ばされ続け、
私は飛び降りる覚悟を決めるしかありませんでした。
その頃、多少の運動神経に自信があったとは言え、
十数メートルの高さです。

子供心では及びのつかない、凄い恐怖でした。
その時、頭によぎったのは、

「助かりたい、生きたい」

という祈りと執念が合わさったような気持ちでした。

自分の命を守るためには、どうしたらいいかを瞬時に判断し、
服や身体がすりむけてもいいから、
校舎のざらざらしたコンクリートの外壁に、
こすられながら落ちれば、その抵抗で速度が落ち、
助かる可能性があると思い、行動に移しました。

しかし、数メートル落下したところで、
その体勢は、あっけなく崩れて身体が仰向けの状態となり、
隣家の鉄製のトタン屋根に背中から落ちました。

トタン屋根に落ちた瞬間、
その衝撃で身体全体がバウンドして、
もう一度トタンに叩きつけられた事をよく覚えています。

私は一瞬息が止まり、意識を失いましたが、
すぐに意識が戻り、全身の激しい痛みに耐えながら、
トタン屋根の上で身体を起こしました。

その時、校舎の屋上にいたグループのある子から
「あいつ、まだ生きている」
その言葉が今も私の心の底に焼きつています。

私は本当に必死の思いで、教室に戻りましたが、
グループは私を待ち受けて、さらに殴る蹴るの暴行を受けました。

その時、担任のH先生が教室に入られて、
私は九死に一生を得て助かりました。

このことは小学校を揺るがす大事件となりましたが、
先生方のご尽力で、グループの親同士との話し合いが持たれ、
最後は和解の方向で決着したように記憶してます。

これが私にとって初めて自分の命を落としかけた体験でした。
とても危険な目に合わされたにも関わらず、
年月の経過とともに当時の記憶が薄れてきたからでしょうか、
不思議に恨みや憎しみといった否定的な感情は私の心にありません。

ある時から、恨みや憎しみ、怒りを持っていて何になるのか、
という疑問というか虚しさに近いものが感じられたことがキッカケとなり、
「赦すしかない」ということが、
私の心の中に定着していったように思います。

このようなことを言うと、人によっては、
まるで宗教家みたいな崇高な思想を持っているような
見方をされるかも知れませんが、それは誰にでも心の中に在ると思います。

日常生活や仕事にどっぷりと浸かってとしまうと、
ついつい目の前の出来事に振り回さ無たり、感情の渦に巻き込まれたり、

「自分を見失ってしまう」

そのことを気づかず無意識に漠然と毎日のように繰り返している、
そんな状況なのです。

この「赦し」とは、「罪を赦す」「人を赦す」というような
限定的な意味より、さらに深い、私達人間がもともと持っている、
あるいは常に求め続けているとも言える、

「本来の素直さ」「本当の自分」、「物事の本質」

そのようことを示しているように思います。

さらに言うと『無条件の愛』と表わすこともでき、
実際の感覚は、人間の視点や人知を超越した無限なる意識、
『普遍意識(全体意識)』という表現が最も相応しいように思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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