過去に本質を見極めるためのヒントが在る 4/4

3/4からの続き

ここまでに至る35年の月日は、自分で言うのもおかしいですが、
長く厳しい道程だったように思います。

自分の過去ですから、恥ずかしい、思い出すのも嫌だ、
書くのが面倒くさいなど、いろんな感情や思いが出てきたら、
最初から、このブログは立ち上げなかったと思います。

しかし、自分のことでありながら、できる限り客観的な視点を
維持することで、ここまで書く事ができました。

だからと言って昔の嫌な記憶や感情は、
決して忘れたわけではありません。

自分の過去の人生を棚卸するため、瞑想をしたり、
紙に書き出したりして、心の中が整理できたことが、
大きいかったように思います。

嫌な感情を思い出し、向き合いたくないと思ったら、
時間をあけ、自分を落ち着かせ、
取りあえず、頭の片隅に置いておく、
そんな感覚で“意識のポイント”を切り換えていくことで、
スムーズに運びました。

さまざまな局面で、鍵を握っていたのは、
人間関係と私の精神面にあったように思います。

自分自身を追い詰め、会社を変えたとしても、
同じような上司や経営者のもとで生活のために
収入を得る必要性から、“繰り返し我慢”して働かなければならない。

むしろ、自分のどこかでわかっているのに、
仕方なく、あきらめや投げやりに近い、
結果的に“無謀とも思える判断”をして、
職場の条件や環境がさらにひどい会社を選択するしかなくなる。

まさに“ネガティブのドロ沼”にドンドンとハマっていく
それを自分でもう止めることができなくなり、
そのための神が与えた?私の自我意識の思考と行動を止めさせる
“非常手段”が、うつ病を始めとする精神疾患だったと今なら思えます。

精神世界やスピリチュアル、カリスマ性のある人物、
あるいは書物といった、自分以外の外側に救いや答えを求めても、
自分の望みどおりのモノは手に入りませんでした。

要するに、いつまでも自分の持っている価値観や執着に
しがみついたままだったから、それらに縛られ苦しんでいた、
ということです。

まさに『自作自演の世界』にどっぷり浸かっていた、
そんな表現が適切かと思います。

自宅療養による2年半に渡る治療は、今から思えば、
人生を根底からやり直すための
リセット期間だったように感じます。

なんとなくなんですが、おそらくこのリセット期間は
もう私の人生には二度とないと感じています。

だから、今度こそ絶対にチャンスをつかみ何とかしたい、
そんな強い想いが、私の心の奥にあったように思います。

大げさな言い方かもしれませんが、最後の望みをかけて
“新たな行動を起こす”必要があったように思います。

当初、それが何かはわかりませんでした。
しかし、私の未熟な判断ながら、わずかな可能性をつかむ感覚で
必死に探し求めていました。

過去に起きた出来事は、そのことを通して
必ず何らかの意味、識る必要のあるヒントが示され、
後になってその真実がわかっていくにつれ、
無駄なことはひとつもないということに、
ようやくたどり着くことができました。

私達は過去の出来事は記憶に残っていて時間とともに
忘れ去られていく場合がほとんどです。

しかし、そこには記憶だけではない、
プロセスというものが必ず残っています。

そのプロセスは、どんなに年月が経過しようが、
潜在意識の中にしっかり刻みこまれていて、
わずでも記憶が残っていれば、それを手がかりに
省みることができます。

この省みる、つまり“反省”する、もしくは”検証”するという行為が、
この後、同じような状況と遭遇した時に
少しでも改善しようと努力を積み重ねれば、
いつの日か自分が成長した証として自覚に至ります。

それが自信となり、次の新たな行動への原動力となり、
さらなる成長へと導かれていきます。
『ボジティブ・スパイラル』、いわゆる『全肯定』という在り方、姿勢です。

この回で、私の過去を顧みた「洗礼時代」は終わりますが、
この時代は私の人生にとって、山あり谷ありの大変革の時期でありました。
それは決して避けようとしても避けることができない、
最終的には真実と向き合わざろうえなかった、
その覚悟を何度も天から試され続けた貴重な経験の期間でもありました。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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