怒り、憤りの感情への正しい理解と対応
普段の日常生活、仕事などの人間関係を通じての
さまざまな場面で反応として、どうしても出てくるのが、
心の「感情」です。
特に仕事や家庭、生活、時間に追われ、心や精神にゆとり、余裕が
なくなってくると、ついつい出てしまうのが
「怒り」「憤り」
といったネガティブな感情です。
人間である以上、出てしまうのは「仕方ない」という
側面は確かにあるのですが……
そうは言っても、どうしても、
やめられない、止められない、
元に戻れない、修正できない、抜け出せない、
挙げ句の果て、自分を責める、抑えつける、我慢する、
他人を攻撃する、傷つける、という結末になってしまう。
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そして、なぜか同じように繰り返してしまい、
自分でコントロールできなくなり、
どうにもならない状況に陥り、さらに苛立ってしまう。
おそらく多くの方が、そのようになることを望んでないにも関わらず、
“最悪の結果となってしまった”、という経験はありませんか。
インドの聖者、アンマは怒りの有害さについて、
かつてこのようなメッセージを発信しています。
怒りは影のように、私たちの行為一つ一つについてきます。
内側にかかえる怒りと憎しみによって私たちは病気になります。
怒りを表現することは周囲を傷つけます。
それで怒りとは持ち手のない、両刃のつるぎであると言われます。
怒る本人と怒りの相手を傷つけます。
怒りは本人と怒りの相手を危険にさらします。【マートルヴァーニ日本語版 2015年3月号 P12 L14~P13 L2】
このように怒りが与える影響は、意外と感じられるかもしれませんが、
私たちが思っている以上に大きいことがわかります。
また、怒りへの対処については、次のように述べています。
怒りとは心の傷のようなものです。
まず、初めに治すことを試みなければなりません。
そして私たちが怒ったときに、あがった想念を観察できるように
努力するべきです。
そうせずに、想念のなすがままにしておくと、
想念は言葉、行為として現われ、
最後に私たちは問題に巻き込まれます。【マートルヴァーニ日本語版 2015年3月号 P14 L10~P14】
文中の“想念を観察できるように”とは、
自分の心の状態を他人が観ているように気づいている、
客観視している、第三者視点、もしくは俯瞰視点のことを
言っています。
「忍耐」と「識別」、この2つを持ち合わせていれば、
誰にでもできる実践方法です。
また、見方を変えると、この「怒り」「憤り」という感情を
クリアできたのなら、人生のさまさせまな場面で
展開が変わる可能性は十分にあります。
少なくとも時間は節約され、ムダと思われる労力は軽減され、
精神的な負担も減少していくように思います。
また、怒りが爆発した後でも構いませんので、
少しでもいいから、その時の状況を振り返ってみて下さい。
過去と現在の気持ちに変化があれば、それが気づきにつながります。
さらに冷静に落ち着いてくると、怒っていた行為が何の得にもならず、
バカらしく思えてきます。
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