愛犬の生と死から学んだこと Part1

我が家で飼っている16歳の老犬ミニチュア・ダックスフンドが、
2022年4月3日の早朝に私の腕に抱えられながら息を引き取りました。

我が家に来て13年の歳月を共に過ごして来ました。
犬のことなど何もわからないまま飼い始め、
いつの間にか、まるで我が子を育てるような感じとなり、
愛犬を可能な限り理解しようと努めてきました。

しかし、ここ数年は加齢に伴ない、さまざまな病気が出てきて
頻繁に動物病院で治療を受けるようになり、
だんだんと回復までのサイクルに時間を要すように
なってきました。

犬の16歳は人間で言えば90歳近いの年齢となり、
身体の調子が悪くなるのは仕方ないのですが、
人間ほどではないにしろ、犬の介護もキツイと
最近感じていた最中でした。

当然のことですが犬とは会話ができませんので、
毎日の身体の動きや飲食、排泄物の状態から、
その日の体調を判断していかなければなりませんでした。

特に体調を崩した時など、どの時点で動物病院に連れていくかの
判断が難しかったように思います。

そのような人にはわからない苦労をしながら、
愛犬の身の回りの世話をしていくことは、
ただ、忍耐のひと言に尽きるように思います。

かつての私は、”手の焼ける予想外の状況”が起こる度、
瞬間的に拒否反応が走って怒りの感情を抑えられきれず、
犬に向かって厳しく当たり散らしたこともあります。

しかし、飼い続けていく中で私の心境が変化していき、
だんだんと愛情深く接することができるようになり、
また何度も同様の事象に向き合ったことから、

さらに慣れの経験を積んでいったことで、
“手の焼ける予想外の状況”に対する心の受け容れが
少しずつ時間をかけできるようになりました。

それは、犬自身の生き様をつぶさに観ていくうちに
少なからずその影響を受けたこともあります。

具体的には12歳くらいから度々体調を崩して、
その度に動物病院で点滴や注射の治療を受けていました。

さらに回復を促すため、あえて私は心を鬼にして
“絶食”と”絶水”を行わなければなりませんでした。

そんな時の私の気持ちは大変辛く苦しいものでした。
それでも「何とか回復して欲しい」という想い、
願いが通じたのか、最終的には少しずつ回復基調に向かい、
元気を取り戻すことができました。

今回も椎間板ヘルニアで足が麻痺状態に陥っても、
“不屈の気力”を振り絞って4本の足で立ち上がり、
歩き始めました。

それはそれは、“奇跡のシーン”を観ているような
大きな感動でした。

まるで、神が愛犬の身体に乗り移ったと思われるくらい、
それは信じられない光景でした。

しかし、もう既に体力の限界を迎えていたのか、
それが“最後の奇跡”となりました。

その後、再び元気がなくなり動物病院で注射を打ち
一時的に回復したものの、歩くことさえ不自由な状態と
なってしまいました。

急に目が衰えたような感じとなり、
傍からは何を見ているのかがわからない、
夢遊病者のようにうつろな目になっていました。

そんな愛犬の様子を見ていた家内が、
「まるで魂が抜けてしまったようだ」
と言っていましたが、今となってはそれは、
ある意味“正しい表現”だったように思います。

そして、まもなく夜通し、身体のどこかの痛みに耐えられず、
唸り声を上げ続けたので、抱きかかえると少しの間は痛みが
収まったものの、そのまま私の腕の中で最期を迎えてしまいました。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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どうぞよろしくお願い致します。

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