内観の真意Part1

私たちは、日常の人間関係、出来事など、
自分の心の内外で起きる現象に対して、
無防備、無意識に囚われてしまい、
次の瞬間、つい心が反応してしまうと、

何らかの感情や想念が出て来る、
ほとんど気に留めず受け流している(無関心)、
嫌悪感、拒否反応など否定的に受け留めるなど、
さまざまな対応をしていることに
気を取られがちです。

しかし、現実を冷静に落ち着いて素直に受け容れ、
すべて肯定的に受け留めるというような、
“客観的に気づいている人”はほとんどいない、
と言っても過言ではないように思います。

その結果、自分の力ではどうにもならないと
中ば諦めたり、面倒に思ったりしてしまい、
そのまま状況を放置したり、
避けたり、逃げたりして、

何もなかったことのように装う、
知らぬふりをする、もしくは無視する、
ついそんな行動に至ってしまうことも
あるように思います。

それで事が首尾よく収まれば良いのてすが、
時間経過とともにエゴがうずきだし、
「都合よく自分の思うようにならない」
という不満が出て来るのが、
よくあるケースだと思います。

それは私の過去の経験を物語っている
“お決まりのパターン”ではありますが、
“自分の中にある価値基準の違い”
という点においては、

図らずも同様のことを経験されている方も
少なからずおられるかと思います。

スピリチュアルの世界では、
そのような状況ついて、カルマの法則、
作用と反作用の法則、原因と結果の法則
という自然法則に当てはまると言われますが⋯

それとて本心から信じている人も、
ごく少数というのが実情のように
感じています。

“結局のところ、私たちは今生で生きている意味、
人生の目的などを知ることもなく、
本来学ぶべきものを学ばないまま、
あの世に旅立っていってしまうように
思えてなりません。”

つまり、「貴重な人生を無駄に過ごしてしまった」
と言っても、決して過言ではないように思うのです。

「だったら、どうしたらいいの?」という
反論の声が出てきてもおかしくはありませんが、
ところが、その答えは単なる観念や知識で収まる
ような簡単なものではありません。

私が今の時点で知り得る範囲で言えるのは、
『内観』という手法が当てはまるように思います。

自分の心の反応に気づき、それをあえて意識して、
より掘り下げて探求していき、潜在意識に刻まれ、
隠れた思い(シャドウ)
を顕在意識まで上げていく
という難しい作業となります。

具体的には、心の反応に気づいた時点で、
その自分の思いを『言語化』していく
という作業になりますが、
やってみたら本当に難しいことを
実感しています。

自分の心の反応に気づくことは、
自分の心身の状態、その場の雰囲気や状況によりますが、
ある程度はできていた感覚はあったのですが、
さらに意識して深堀りしていくことに、
当初は抵抗、戸惑い、疑念がどうしても出てきました。

しかし、これを実践したことによって、
意外なメリットも享受できたのも事実です。

それは、これまでより自分の心の反応に対して、
注意深く丁寧に観察するようになってきたことで、
小さなことでも見逃さないような、
鋭敏な感覚にシフトしたように感じられ、
成長の実感があったのが嬉しかったからです。

今まで全く気づかず見落としてきたような、
この小さなことを拾っていく積み重ねの継続、
それが大事だと改めて思えるようになりました。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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今後の励みになります。

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