人として生まれてくる目的は何なのか

人は皆この世に生まれた瞬間、
必要なのは呼吸に最低限の酸素だけです。

その後、人として心や身体が成長するにつれ、
自我意識が芽生え、親や周囲の人たちから影響を受け、
“執着や欲望”に囚われるようになります。

もう一度、生まれた瞬間に戻ったなら、
つまり、赤ん坊の時点では、
この”執着や欲望”といったものは、
微塵のかけらもない、無垢な状態だったはずです。

ここで話が少々飛びますが、
魂では『人として生まれてきた目的』を識っていながら、
あえてその記憶をすべて忘れて生まてくると言われています。

私自身もすっかり忘れているようで、
それを思い出そうと識りたいという欲求は潜在意識の中で、
誰でも持っているように思います。

ただし、それを探求しようとしまいと、
本人の自由意志が優先となりますので、
つまり、“選択の自由がある”ということです。

ちなみに私の場合は、転職というやり方で現実逃避を
何度も繰り返したのですが、紆余曲折の末最終的に、
『人として生まれてきた目的』、つまり『本当の自分』
向き合わざろうえなくなりました。

わかりやすく言えば、
逃げ場を失い、しっかりと現実のことに向き合うことで、
本来あるべき自分の生き方、在り方の方向性が
少しずつ見出だせるようになってきたと思います。

そして、『本当の自分』を思い出すためのプロセスが
自分の外側にあるもの、具体的には家族を含め
他人との人間関係、起きる出来事といった、

そんな事柄一つ一つに感情的に反応することによって、
雪だるまのように心の中で大きくなっていった、
“エゴ”に気づいていくということが鍵を握っています。

その”エゴ”とどのように対峙していくか、
あるいは”エゴ”に主導権を握らせたままか、

その選択によって人生の方向性が異なっていき、
『本当の自分』を見つける、思い出すプロセスも
自ずと異なっていきます。

私の人生を振り返ってみると、
自分勝手に転職を繰り返していた時が、
まさに”エゴ”にどっぷり浸かっていた状態で、

その方が”いつか楽になる”というあてのない
“期待の楽観視”、つまり、一種の幻想を夢見たに過ぎない、
ということが10年以上経ってようやくわかりました。

決して強がりを言うつもりはありませんが、
格好良く順風満帆の人生ではなかったのは確かです。

でも、お陰である意味平坦な人生では
絶対経験することができなかったことを
味わったことも事実です。

つまり、過去の経験をどう受け留めるかによって、
どれだけ年数が経過していようとも、
事実そのものは変えることはではできませんが、

“心の想いは変えることができる”


ということです。

私たちは、成功と失敗、勝者と敗者というように、
どうしても評価や結果、成果を求め続け、
そこから何某かの収穫を得ようとしがちです。

ところで、この”成功や勝者”と”失敗や敗者”との違いって
一体何んなのでしょうか?

どうして、そのような”分け方”をする
必要があるのでしょうか?

そんな疑問に対するヒントが、
『本当の自分』を探すしていくことに
在るように思えるのです。

ちょうど、『シルバーバーチの霊訓』を読んでいたら、
下記の文節が目に留まりました。

失敗も災難も全て薬です。

何かを教えてくれます。

人間は宇宙という大きな学校の生徒なのです。

シルバーバーチの霊訓より

示唆に富んだ表現だったので引用しました。

どうやら、私たちの心というものは、
その持ち方、在り方次第で、
どうにでも変容が可能ということのようです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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