「魂の震え」の体験からわかったこと PART1

深い感動の表現として、
「魂の震え」、「魂の共鳴」、「魂からの響き」がなどあり、
いずれも最初の頭に「魂」があります。

この「魂」といっても目に見えないものであり、
実際に見たこともないので、肯定するわけもなく、
また否定するわけもなく、確証のないままの状況で、
ただなんとな60年近くの人生が過ぎてしまいました。

ところが、最近になってここ数ヶ月の間での出来事を通して、
“確証のないままなんとなく”から“確証に近づいた”
体験がありましたので、私自身の確認の意味を含めて
シェアさせて頂きます。

最初の体験は、10月にありました娘の結婚式でした。
私は披露宴の間、昔の懐かしい写真など、
会場側の演出が出る度に涙をこらえることができず、
幾度となくそんな状況となりました。

「新婦の父親だから仕方ない」という世間で言う
一般的な見方をされがちなのですが…

ただ、そうだったとしても、私にとっては
感動の状態が“異常”と思える程、
驚きとともに、なぜか“客観視”していました。

極端な言い方をすれば、
「これの状態はいつもの私でない!」
そんな表現になるかと思います。

私が今生で識ることのなかった、“内在していた感情”
一気に噴出したような感覚でした。
もちろん、喜びや嬉しさといった肯定的な感情なのですが、
それが突然爆発したようでした。

この時点では、それが何かということはわかりませんでした。

その2ヶ月後、若手俳優の三浦春馬の遺作となった映画、
「天外者」を鑑賞した時、映画自体は感情の起伏もなく
普通に観ていました。

ところが、映画が終わり、配役などの字幕が出てきて、
その中に主人公のある短いメッセージを観た途端、
心が共鳴を起こしたようで、急に感情が込み上げてきて
涙があふれ出てきました。

次の瞬間、この感覚は娘の披露宴の時に体験したものと
ほとんど同じものではというインスピレーションを感じました。

披露宴の時は幾度となく出てきて、今回は1度だけの違いはありますが、
2つの状況は、感動のレベルというか感じられた感覚というのか、
同じようなものとして実感が湧きました。

次第に落ち着いてくると、もしかしてこの感覚は、
「魂の震え」とか「魂の共鳴」とのことなのでは、
そんな想いが出てきました。

最近、歳のせいで涙もろくなったのでは、
そのように私なりに思っていて、
ごく自然な人間的な感情の表出に過ぎない、
その程度の認識でいました。

しかし、どうやらそんな理解の範囲を通り越し、
必要性または必然性があって、
これらの現象を生で体験したことを通して、
私に何かを知らせようとしている、
もくしは教えようとしている、

それは私にしかわからない、
“何か意図のようなもの”が感じられたからなのです。

そして、知識を総動員してあらゆる方向から考えた末、
その“何か意図のようなもの”の行き着いたところが、
「魂」に関することなのではとしか、
もう思い当たらなかったからなのです。

最後まで読んで頂いてあがりがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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