人生を『生ききる』とは
20年以上おつき合いのある知人の方から、
毎月お便りを頂いていましたが、
半年近くそれが途絶えていました。
気になって自宅にお電話をかけたのですが、
ご本人が不在で、しばらく経って、
折り返しのお電話がご本人からありました。
その内容を要約すると、
高齢による認知症が進んだため、
もう、お便りが書けなくなった
ということでした。
ただ、私とのお電話のやり取り、
口調はとてもしっかりしていて、
“お便りが書けない”ことと、
なかなか結びつきませんでした。
終始、穏やかな雰囲気が感じられ、
神様、仏様のお陰で、
「ボケてきたけど毎日がとても幸せ」
と話されました。
あの世に行ったら、
先に逝かれたお母様に会い、
「(お母様に)褒めてもらいたい」
とも言われました。
最後に、ご子息からいつも、
「おやじ、ボケても、病気で寝たきりに
なってもいいから、生ききれ!」
と言われているとのことでした。
電話を切ってから、しばらくの間、
温かい愛のエネルギーを受け留めて、
“胸がいっぱい”になりました。
また、“生ききれ!”という言葉が、
私の心の中にしっかりと残り、
何度も響くような感じになりました。
「まさに、その通りだ」
という納得感と同時に、
「私なら、どう生ききる?」
自分に問い掛ける想いが出てきました。
“生ききる”といっても、
「単にできる限り長生きしたい」という
浅く表面的な考えでないことは明白で、
とても重みのある言葉です。
そのため、じっくりと受け留めたならば、
決して簡単な問い掛けではありませんし、
私に限らず、すべての人に共通するもので、
人として永遠の課題でもあります。
人生の理想論や哲学といった概念を
とことん突き詰めていき、
最終的に自ら望む結論を得るつもりは
ありませんが、
私たち地上における視点では、
自ら限界を設定してしまうという、
“思い込み(固定観念)”から、
思考や行動を停止してしまうことが
よくあります。
もしかしたら、現実世界の向こうに
“求めている答え”があり、
“その境界は紙一重であること”を
私たちは知らないだけなのかもしれません。
「私なら、どう生ききる?」
それを具体的に言うならば、
「目の前で今ここに示され続けている」
それもまた真実なのです。
とてもシンプルなヒントでありながら、
辛抱強く、忍耐、注意深さ、識別心を
日々意識しながら一歩ずつ極めていく、
新約聖書の「信じる者は救われる」を
引き合いに出しますが、それに近い意味で、
人生修行のひとつと受け容れた方が、
良い方向へ進んでいくように思います。
知人の方も確固たる信仰心に基づく
強い信念を持っていられたこともあり、
“自ら道を切り開いた感じ”を受けました。
つまり、他人から影響を受けたり、
聞いた話を盲目的に鵜呑みにするのではなく、
仮定として受け留める柔軟な考え方、姿勢が
とても大事になってきます。
“生ききる”ためには、現実世界で生きていく中で、
現象に翻弄され、迷い、苦しみ、悩んで、
たとえ自分を見失いかけたとしても、
いつでもそこに戻れる、
『自分軸(本当の自分)』をしっかりと
根差し続けることで、自然と必然的に
“生ききる”方向へと向いていくように思います。
“生ききる”ための原点(本当の自分)を
常に見定めていく、
“日常を通しての意識づけ”
が肝要だと思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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