魂の想いへ近づく

最近、私自身の急な想いと変更を伴ない、
行動に至るという事象がありました。

それは18年間通院してきた心療内科を転院し、
新たに臨床心理士のカウンセリングを受ける
という決断を下し、実際行動に至りました。

「私自身の気が変わった」と言えば、
その通りなのですが、
そこまでの行動に至るに当たって、
いくつかの前提や背景があったのも事実で、

不思議な表現と思われるかもしれませんが、
最終的に決断を下したのは、
私の“心”というより、“魂”だったと言った方が、
後になって、なぜかしっくりと納得のいく
感覚だったように思います。

まるで、心療内科医を変え、
臨床心理士のカウンセリングを受けることが、
“今後の私の人生で必要な行動
と心の深いところで感じられたから”

そう思えたのかもしれません。

実際に臨床心理士との初回のカウンセリングで、
私自身の心を深く掘り下げていった末、
『死生観』という言葉が出てきました。

それは私にとって予想外の展開ではありましたが、
振り返って慎重に注意深く考えてみると、
『私が魂から望んでいたこと』
そのことに気づけました。

ただし、それは物欲的な願望とは異なり、
魂の想いもしくは視点に少しでも近づきたい、
識りたいという“純粋な想い”からでした。

つまり、私にとって、いや私の魂にとって、
『死生観』とはどういうことなのか?

それを自ら明らかにしていく、
そのタイミング、時期がやってきた、
もしくはようやくそこに辿り着いた、

そのようなスタンスで臨むことで、
また真正面から向き合うことによって、
私に“最適された答え”が見出されていく
ように感じています。

“純粋な想い”に素直に従って、
慎重に注意深く識別心を働かせて、
一歩一歩を焦らず着実に進めていく姿勢を
終始貫ければ申し分ないのですが…

最も注意が必要なのは、
行き着いた結果がどうであれ、
“何の期待もせず、その結果に執着しない、
囚われないこと”
が、とても重要になってくる
と思います。

これは私だけに限らないことだと思いますが、
未来のことに期待すればするほど、
自分にとって都合のい良い結果を
無意識に近い感じで望んでしまい、

さらにエスカレートすると、
どうしても手中に入れたいと強い執着が生まれ、
心がそのことに意識が向いてしまい、
囚われてしまうことに成り兼ねません。

私は事象の内容は異なれど、
過去に同じような経験を何度もして、
その度に心が落ち込む心境になる度、
自分を責め続けていました。

結果的に、そんな最悪な心境になっても、
根本的な解決には至らず、
ネガティブな状況からは抜け出すことが
できませんでした。

「結局、自分の心の弱さには勝てない」

そんな想いがすっかり根付いて、
どうすることもできなかったように思います。

しかし、多くの忍耐と努力、時間を要しながらも、
自分の心と距離を置くことで、
少しずつ客観視ができるようになり、

さらに一歩踏み込んで、
『自分の心の弱さ』と向き合う覚悟を決め、
心の中を深く内観していき、
その時の感情や想いを言語化することによって、

本当の意味で、自分を素直に認める、
受け容れる、つまり“本音で取り組む”
それをやり始め継続中です。

日が経つに連れて次第にわかってきたのは、
同時にそれが“自分の魂の想い”へと
少しずつ歩み寄ることに気づいたのです。

なぜ、そんなことが言えるかと言うと、
『自分の心の弱さ』は自分が創り上げた、
言わば『実体のない幻想』に過ぎない、
そのことをハッキリと確信できたら、

二度と『自分の心の弱さ』に惑わされることが
最終的になくなっていくことで、
必然的に『自分の真実の姿』である”自分の魂”、
その想いに耳を傾けるしか選択肢はなくなるからです。

別の表現をするならば、
『人生を自分の魂と並走している』
そんな言い方もできるかと思います。

だから自分の魂との向き合い方を、
「実感レベルまで至りたい!」、
と本気で思っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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