「沈黙」という表現に挑む

「沈黙は金なり 雄弁は銀なり」
ということわざがあります。

まず、後半の”雄弁”についてですが、
人それぞれの解釈、捉え方の違いにもよりますが、
私たちが日常生活を営んでいく上で、
言葉の表現のひとつとして存在することは事実です。

受け手側の見方、考え方、価値基準によって、
“雄弁”という表現は、良くも悪くも
自由に捉えられますので、

“見聞きした時点”での相手側の印象や雰囲気とかが
識別の分かれ目になるように思います。

つまり、個人的な主観によって、
大小さまざまな違いが生じるため、
場合によってはお互いに誤解を生む可能性も
十分に考えられるわけです。

シンプルに言えば、
メリットとデメリットの両面があると言ったら、
より分かりやすいように思います。

もう1つの前半の”沈黙”についてですが、
これは私にとって”苦手”とするツールだと、
今回のブログを書きながら改めて気づきました。

より正確な表現をするならば、
“苦手”というより”取り組み方がよくわからない”
それが”正直な答えだ”と今の時点で思います。

さらに突っ込んで言うと、今の私の傾向として、
思ったこと、感じたことを反射的に、
すぐ口にしてしまう、平たく言えば、
単なる”おしゃべり”に過ぎません。

「ごく自然体で素直な表現ができたら」と言えば、
聞こえはいいかもしれませんが、
場の状況、環境によって、その手法が実践できる
保証などありません。

“沈黙”という行為に挑戦することは、
不信感、警戒心などの心理状態に対して、
“純粋な意識への変換”を呼び起こし、

“対象に対して、過度に期待を寄せず、
また囚われず、できる限り自然体で臨む”
というスタンスが非常に大切です。

目の前の現実、人間関係、物事と真正面から
向き合うことの必要性をヒシヒシと
肌感覚で感じるくらいの気概次第のように
思います。

どうやら、私の場合、”沈黙”の形からではなく、
“自分の意識状態を可能な限り、客観視し続ける”、
というやり方の方が、受け入られるように思います。

また、”沈黙”と似たものに”瞑想”がありますが、
私の中ではあえて明確な線引きはしていませんが、
“客観視”、”余計なエネルギーを注がない”、
という共通点があると思っています。

まずは、“余計なことを極力言わないようにする”、
“正確かつ簡潔にポイントを絞り伝える”、
その辺りから始めて意識して継続していきたい、
と考えています。

なぜ、”沈黙”の取り組みをやろうとしているのか?

その動機を自問自答していくと、普段の生活では
気にならないのですが、もともと言葉の表現力に
自信がなく、改善したいという想いは持っていました。

ただ、このことは本を読んだり、
他人から教えてもらう、知識の鵜呑みをするなど、
安易な行動を取ってしまうと、

何かのキッカケで迷路にハマり込んだりしても、
簡単に抜け出せない状況を自ら創り出してしまう
可能性もあります。

自分の心の状態に十分に注意しつつ、
識別していかなければ、
“エゴの罠”にハマることになります。

現実世界に振り回され、悩み、苦しんだ末、

“自分はどうしたいのか”、

“どう在りたいのか”、

という内側の自分に問い詰め、
方向性を見出すようになると、
最後に行き着くところは、

“魂は何を望んでいるか”

それが最も適している表現となります。

また、”沈黙”を足がかりとして、
言葉のスキルのレベルアップを含め、
“自分の本音の表現に磨きをかけたい”、
そんな真剣な想いもあるように思います。

ここまで書きながら、
私自身の心の状態を客観視していくと、
ふと気づいたことがありましたので、
シェアしたいと思います。

私の持って生まれた性質、
まじめで一本気な性質、その意気込みが
ブログから感じられ、ヒシヒシと伝わってくるのは、
自分でもわかり、強い意思表示でもあります。

一方で、「私自身も修行中の身で普通の人間と
何ら変わりはない」と本心から思ってますから、

日常生活や仕事という場において、
正面から向き合い、冷静に落ち着いて
対処できるかどうかが、

今後の私の人生で重要な鍵を握ってるように
思えてなりません。

最近、スピリチュアル本の名著である、
「シルバーバーチの霊訓」を読んで気になった箇所
(心に引っかかた所)がありました。

人間の肉体は精密機械のようなもので、
死ぬまで末永く扱うに当たり、
メンテナンスが必要との内容で、
つまり、“心身の休息が必要”との主旨でした。

その箇所を読み終えた時、私自身に置き換え、
仕事に就いての1年半の現実を振り返ってみたら、
「その通りだ」という“妙に納得する感覚”があり、
今の私には“休みが必要”とのメッセージと
受け取りました。

このことは私自身の内側で起きていることで、
おそらく他人からみたら全く理解できないことだと
思いますが、私の中では“それでいい、OK!”と、
心の底、魂ではそう思っているようです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら
今後の励みになります。

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