人は死ぬために生まれてくる Part2

誰でも頭では「人はいつかは死ぬ」とわかっていても、
この世に居て恐怖感、不安、心配、未練、執着心といった
想念を持っている以上、“死ぬ自覚”に至る準備すらできない
というのが前回の内容でした。

それらの問題と思われることを乗り越えるための
ヒントとなるのが、「今という瞬間」にあるということにも
触れました。

ただ、実際の日常生活で「今という瞬間」
どれだけ集中できているか自問自答するように
振り返ったらわかると思いますが、

私たちはほとんどの時間、
「今という瞬間」に意識の照準を合わせていません。
合わせていても僅かな時間で過去や未来へと移ってしまいます。

つまり、それだけ私たちの“心は大変移ろいやすいもの”なのです。

さらに踏み込んで言えば、その心の移ろいやすさが原因となり、
“恐怖、不安、心配などの想念を自らつくり上げている”のです。

まさに、『自作自演』の世界を一人で演じているわけです。

ところが、私たちは“演じていることに気づかず”
すっかり向きになってそこに意識を向けたまま
巻き込まれてしまっている場合がほとんどなのです。

それは、あたかも恐怖、不安、心配が現実となっているかのように
錯覚して思い込んでしまっているから
です。

当然のことながらその感覚は人によって異なることですが、
悩み、苦しみ、辛い、そんな状態から本気で何とか抜け出したい、
と真剣に思えるようになった時が実は抜け出せる
チャンスでもあります。

ところが、ほとんどの人たちは、その時点で
諦めたり、挫折したり、絶望して心の動きが止まってしまい、
もう、それ以上前に進むことができなくなります。

心が止まった状態になってしまうと、
あらゆることに対して、無気力、無関心となり、
精神のバランスを崩しやすく、うつ病になることもあります。

思い返せば十数年前、私の心の状態は、
そのような「絶望の淵」にありました。

しかし、これも見方次第になりますが、
そこまで心が追い詰められたらこそ、
ようやくお尻に火が点いた感じとなり、

自分のために何ができるかを真剣に考え、
心と向き合おうとすることに
ひたすら努力を傾けました。

“その時その時の心の状態に気づいている、
もしくは注意深くなっている”

最近になってようやくその感覚が少しずつですが、
わかるようになってきました。

いわゆる“客観視”です。

私に限らず、本やインターネットなどの情報、
学校教育や武道の修練の場など、
“客観視”について知ったり、教えてもらう機会が
ありませんでしたか?

ところで、なぜ、“客観視”という視点が必要なのでしょうか?

人生は常に順風満帆とは限りません。
人間関係、出来事などを通して、
怒り、憤り、恐怖、不安、心配、迷い、悲しみなどの
想いが人間である以上どうしても出てきます。

ほぼ同時に反応して感情が出てきますので、
心が乱れ落ち込んだり、自分を責めたり、
抑えつけたりしがちになります。

ところが、心との間に意識して距離を置くことで、
次第に落ち着いてきて冷静になることができます。
そして少しでも早く心が立ち直れば、その後、
よりベストな行動や判断ができるようになります。

さらに“客観視”の特徴とも言える効果的な使い方として、
心の世界そのものは、時間や空間、いわゆる時空間を超えた、
この物質世界とは異なる次元の世界ですので、
過去や未来といった時間、また本人がどこに居ようと場所にも
全く影響を受けません。

ですから、その時点でできなかったらとしても、
少し心が落ち着いて安定した状態となり、
自らの意志で過去のことを振り返っても
作用は全く同じなのです。

実はこの“客観視”の最終目的は、
自分が死んで慌てふためいたり、混乱したり、動転せずに、
死という現実を素直に受け容れるようになるためにあります。

つまり、死んで肉体から意識(魂)が離れた時でさえ、
“客観視”できるようこの世で生きているうちに、
“死後の視点”の練習を積んでいくということなのです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
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どうぞよろしくお願い致します。

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