目の前で起きていることがすべて Part2

「ところで、今、あなたは目の前のことと、
 どのように向き合っていますか?」

前回のブロクの最後は、この問いかけでした。

私たちはどうしても頭で物事を考えるのが、
クセというか無意識というか当たり前のように
なってしまいがちです。

もっと突っ込んだことを言えば、
頭の思考とともに心、つまり感情が連ねて
どうしても出てきてしまうということです。

“過去のことを悔やみ、そして憂い、
また未来を心配、不安に思ってしまう”、

そんな心境に陥りがちになるということです。

しかし、そのような心境になったとしても、
気に留めずほぼスルーして普段通りの過ごす方もいる一方、
気に留め続けることで心理的な負担となる方もいます。

前者のケースでは自分の心を客観視したり、
動機を明確に識別して速やかに行動に移していれば、
ほとんど問題は生じないのですが、

もし、やならければならないことを意図的に無視したり、
回避したりとか、いわゆる自分本位、自己中心的、
利己的な想念で自分勝手な行為を取ると
相応の“負のカルマ”が生じる可能性があります。

また、後者のケースとして精神のバランスを崩し、
うつ病などの精神疾患を発症する恐れがあり、
精神科医、メンタルカウンセリングなどの
治療や支援が必要となる場合があります。

いずれにせよ、すべての原因は、
自分の周囲で起こった「人間関係」や「出来事」といった、
“自分の外側に有る”という認識を持ってしまいがちですが、

実は周囲で起こった「人間関係」や「出来事」といった対象は、
自分の心が創り出した映像を映し出している、
つまり、単に“自ら投影している”だけであって、

“自ら投影している”というこの現象世界のからくりが
わからないまま、“自分の心のズレ”が原因となって、
現象そのものに巻き込まれてしまい、抜け出せなくなると、
その結果、悩み苦しみ混乱し、時には怒りや不安、恐怖などが
頂点に達して自分を見失うことになるのです。

結論を言えば、その原因は心の中、
すなわち“自分の内側に在る”
という真実に全く気づいていないことにあります。

それが、私たちがどうしても自覚することができない、
人として未熟な証である“無知”、”無明”と言われる所以です。

そして実際に多くの人々が、
「生老病死」の字のごとくだけの人生で
終わってしまっています。

それは単なる人生の終わりということで終わらず、
本来この世で“やるべき宿題”を積み残して
あの世に行ってしまうことになります。

この“やるべき宿題”とは、もともと人間として生まれる前、
つまり、“自分が魂の状態の時に、
自分で選択、設定した人生の課題”
のことです。

もちろん、人それぞれ異なり、
それぞれのやり方、ペースで取り組んで行かなければならない、
“この世の宿命”とも言えるものですが、
もし積み残してしまうと、また人として生まれ変わって
取り組み直さなければなりません。

このことについて私は当初聞いた時に、
この現実世界では証拠に基づき証明されたものでなかったため、
疑念に思って信頼することができませんでした。

しかし、スピリチュアルの本質に根ざした概念を知り、
行動、反省、仮説・検証といった流れの中で、
経験が裏打ちされていくごとに、
少しずつですが、疑念から“確信”へと変わっていきました。

そんな経緯もあって日を追う毎に、
「”やるべき宿題”をこの度の人生で積み残したくない」
という想いがだんだんと強くなっていきました。

そして、それを何とか解消したいという強い想いから、
今、取り組んでいる手法に行き着きました。

それが、マンション管理員、メンタル・カウンターという
私の仕事に限らず、日常の家庭生活などあらゆる場面で
取り入れて実践している『カルマ・ヨガ』となります。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ご興味、ご関心を持たれましたら、
このブログの感想のコメントを一言でも頂けたら今後の励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。

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